
おじさん、「友だちはいらない」って言ってるのに「友だちは大事」って言うの、へんだよ。



矛盾に見えるけど、じつは時期と場所の使い分けなんだ。必要なときに必要なぶんだけ、が正解だよ。
はじめに整理しておきます。人は、ときに一人の時間を長くとったほうが伸びます。
机に向かって静かに集中する時間や、自分の頭で考えきる時間は、誰かと一緒にいるほど減っていきます。
だから「いまは友だちがいらない」という期間はあります。
一方で、心の回復、視野のズレ直し、人生の節目での背中押しといった場面では、友だちの存在がしずかに効いてくる時期でもあります。
この二つはケンカしません。
「つねに必要ではないが、大事な人は持っておけ」という言い方に集約できます。
小学生の生活に置きかえるなら、テスト前の数週間は一人で集中して、長期休みには友だちと遊んで心の電池をため直す、という感覚に近いです。
仲間と友達の違い
学校の毎日は、仲間と友だちの両方でできています。
掃除当番、運動会のリレー、自由研究のチームは、目的でつながった仲間です。
そこには「やること」「役わり」「期限」があります。
終わったら解散しても失礼ではありませんし、次の行事でまた同じメンバーになれば自然と再集合します。
仲間は、目的が真ん中に置かれているので、終われば次に進むのが健全です。
放課後の公園、くだらない話で笑い転げる帰り道、たわいない相談。これは関係でつながった友だちの領域です。
そこには点数も順位もなく、しばらく会えなくても、会えばすぐ戻れる「沈黙に強い関係」があります。
ときには「それはよくないよ」と真顔で注意してくれることもあります。
友だちはヨイショ係ではありません。だからこそ、守ってくれるのです。



テスト勉強は仲間、夏祭りの花火は友だち、ってこと?



その理解でぴったり。混ぜると、期待違いでかえって苦しくなるんだ。
友だちはいらないというのは極論
「友だちはいらない」という言い方は、大人の世界でときどき聞こえます。
たいていは勝負の時期の特別ルールです。



受験、コンクール、研究発表、創作の追い込み。
こうした期間は、時間がいちばんの資源になります。
人間関係は時間とエネルギーを使いますので、いったん減らして集中を守ると、最短距離で伸びることがあります。
さらに、外からの「いいね!」に左右されないように、孤独に耐える練習をあえて選ぶ人もいます。
ただし、そのルールを常に使い続けると、心がやせ細ってしまいます。
笑い、寄り道、偶然の景色、他人の視点。
どれも通知の数字のように目に見えませんが、暮らしを豊かにする大事な栄養です。だからこそ極論は「期間限定」で使います。
必要なときだけスイッチを入れて、終わったら戻す。ゼロか百かの固定ではなく、フェーズごとの最適化が大切です。
暇人ほど大事、忙しい人、目的がある人ほどいらない
自由時間が多いとき、友だちの価値はまっすぐ上がります。
放課後に遊ぶ、話す、なにか一緒に作る、といった体験は、それだけで心と頭の筋肉を育てます。



ほうほう!たしかに遊んだり、ゲームをしたりなどは友だちが多いような・・・
相手の気持ちを想像する練習にもなりますし、失敗の笑い飛ばし方も身につきます。時間に余白があるなら、友だちと過ごすことは、それ自体が学びであり、回復になります。
いっぽうで、時間がほとんど残っていない時期、目的がはっきりしていて一気に山を登ると決めた時期には、友だちのための時間を思い切って減らす選択が役に立ちます。
俺とかは「3DCG Gen2で革命を起こす」と決めていますので、長いあいだ、ほぼゼロに近い人づきあいを選ぶことがあります。
冷たいからではなく、役割がちがうからです。
作品や仕組みを生むフェーズでは、孤独が燃料になります。
ただし、この生き方を永遠に続けるつもりはありません。
だから「低い手間で高い信頼」の関係だけを静かに残し、年に数回のやり取りでつないでおきます。長い道のりで心が折れないようにするための、見えない支柱として機能するからです。
友達は作るのではなく自然にできる
良い関係は、力んで「作る」より、気づけば「できていた」のほうが長持ちします。学校や幼稚園の毎日は、そのための絶好の土台です。
同じ時間を過ごし、同じ出来事を重ねると、思い出の層が静かに厚くなります。習いごとも有効です。
ピアノでもスポ少でもロボット教室でも、ゆるく同じ目的のもとに一緒の時間を積むと、相手を「役に立つ人」ではなく「一人の人」として見やすくなります。
ゲームやメタバースでも、共通のワールドで何度も協力や失敗を重ねれば、信頼の芯が生まれます。



ゲームで会った人と仲よくなるのはアリ?



アリだ。ただし、遊ぶ範囲のルールを自分で決めること。本名や住所や顔は出さない。あとはすぐに出会いしない。
嫌な言動に出会ったらミュートして離れる。軽く、楽しく、距離を守る。これが長続きのコツだ。
ただしSNS(特に第1世代)で友達にするのはNG
ただ、SNSで友だちにするのは、絶対にやめておきましょう。



それはどうして?
SNSのような手軽すぎる環境は、人間関係の質を簡単に下げます。
返信の速さがやさしさだと誤解しやすく、数字の多さが価値だと錯覚しやすいのです。
たくさんの「いいね!」があっても、ほんとうに困ったときの手は、ほとんど伸びてきません。
安全面も弱いです。
学校や通学路の情報、家の写真、日常の位置情報は、思っているより簡単に他人の目に触れます。
アルゴリズムは似た意見を集めて見せてくるため、考える筋肉も偏りやすくなります。


もし使うなら、閲覧中心にして、個人情報は出さないようにしましょう。友だちは、共通体験が積み上がる場所で、自然に育てるほうがよいのです。
友達は本当に重要な人は残しておけ
誰を残すべきかは、むずかしそうで、実はシンプルです。
- しばらく話さなくても会えばすぐ戻れる相手。
- 忙しい時期に無理を求めず、「落ち着いたらまた話そう」と言ってくれる相手。
- うまくいったら心から喜んでくれて、しくじってもバカにしない相手。
- 約束を守れなかったときに「ごめん」と言える相手。
- 内緒の話を広げず、からかわない相手。
- くだらない話で同じように笑える相手。
こうした人は、安心してそばに置いてよい存在です。
ただし、残すからといって重くする必要はありません。関係の手入れは、軽いほど長く続きます。
年に一度の「元気?」でも、誕生日の一言でも、試合や発表を見かけたときの短いねぎらいでも十分です。負担ゼロでやり取りできる関係は、宿題や家の用事で生活が揺れても壊れません。TITANも、革命の長距離走のあいだ、そうした人を数えるほど残しています。声を大にせず、静かに支えられている実感が、想像以上に効くからです。
いつかは別れるタイミングは訪れる
別れは失敗ではありません。人は変わり、道も変わります。
小学生でも、クラス替え、習いごとの変更、転校、家庭の事情など、静かな地殻変動はいつでも起きます。



私も卒業した人と合わなくなったなー!
そのたびに、人間関係は更新されます。
大切なのは、終わらせる作法を身につけておくことです。
短く感謝を伝え、理由は最小限にし、未来の窓を少しだけ開ける。
「いままでありがとう。いまは勉強に集中したいから、遊ぶ回数を減らすね。またどこかで。」この程度で十分です。
SNSで大きな音を立てる必要はありません。
通知を静かに減らし、写真は見ないフォルダにそっと移しましょう。
思い出は敵ではありません。ただ、いまは見ないだけです。
別れの直後は、心がざわつきます。三週間ほどは、よく寝て、よく食べて、少し体を動かすことを最優先にしてください。
家族や先生に短く話すのも有効です。別のつながりに一時避難すると、心の温度が整います。静かな回復は、確実にやってきます。



静かに終わらせるのって、むずかしそう。



むずかしいけど、その静けさは相手へのやさしさでもある。練習すれば、ちゃんとできる。
まとめ
結論は、最初にお伝えしたとおりです。友だちは、いつも必要ではありません。
勝負の時期には、関係をへらして集中してかまいません。
けれど、ほんとうに大事な人は、少数でよいので残しておきましょう。
年に数回の軽い手入れで、十分につながります。仲間は目的でつながり、友だちは関係でつながります。混ぜないことが大切です。
友だちは作るものではなく、自然とできるものです。
学校や習いごと、ゲームやメタバースの共通体験の中で、ゆっくり強くなります。
SNSの手軽さに頼って友だちを増やすのは避けましょう。
質は落ちやすく、安全面も弱いからです。別れは更新です。短く感謝して、静かに距離を置けば十分です。



必要なときに、必要なだけ。君が自分の足で立つ力と、だれかと笑える力。その二つを両手に持っていこう。そうすれば、「友だちはいらない」と言える強さと、「友だちはもっておけ」と言えるしなやかさが、同じ君の中でちゃんと仲良くしてくれるよ。