現代の日本は、中央政府が強力な権限を持つ中央集権国家です。
この構造は、明治維新を機に確立されました。しかし、歴史をひも解くと、日本はもともと分散型の社会でした。
なぜ、日本は異例ともいえる中央集権体制を選び、そして今、その終焉を迎えようとしているのでしょうか。
なぜ明治維新は中央集権にしたのか?
明治政府が中央集権体制を急ピッチで進めた最大の理由は、「戦争に勝つため」です。
当時の日本は、欧米列強の脅威にさらされており、富国強兵を掲げて近代化を急ぐ必要がありました。
グローバリズムは、この時代に本格的に普及し始めました。
欧米諸国は、植民地獲得競争を繰り広げ、日本もその波に飲み込まれる危険性がありました。
この危機感を乗り越えるためには、封建的な江戸時代の制度を根本から変え、国全体を一つの強力な軍事・経済組織として統合する必要があったのです。
当時の武士社会はあまりにも権利が強すぎた
江戸時代は、徳川幕府を頂点とし、全国250以上の藩がそれぞれ独自の権限を持つ「分散型社会」でした。
この藩を治めていたのが武士たちです。
彼らは、今でいう「県の副知事」のような存在でした。

なんかー引っかかるな?なぜ副知事なの?
- 知事:選挙によって選ばれ、落選のリスクがある。
- 副知事:行政のプロとして、選挙の影響を受けずに実務を担う。



今回僕が知事じゃなく副知事と断定する理由は「天下り」という存在だ。
実際に選ばれたわけじゃないのに県の権利にかんする強さがある程度強いことや落選することがないからだ



なんと・・・
武士は、世襲制であり、選挙で選ばれることはありませんでした。
藩という独自の経済基盤と軍事力を持っていたため、その権利は非常に強固でした。
明治政府は、こうした武士の権力を解体し、国の軍事力と経済力を中央政府に集中させる必要があったのです。
廃藩置県は、そのための最も重要な政策でした。
統合し、さらに統合した
明治政府は、武士の解体にとどまらず、旧来の身分制度を廃止し、国民全体を「国民」として統合しました。
徴兵制や義務教育を導入することで、国民を国家に尽くす人材として育成し、ナショナリズムを醸成しました。
この中央集権体制は、日清・日露戦争での勝利、そしてその後の第二次世界大戦へと、日本の国力を飛躍的に高めることにつながりました。
しかし、そのピークである第二次世界大戦が終わり、戦後の高度経済成長期を経て、現在は大企業主役になり、少しずつ自治体に権限が分散されつつあります。
それでも、中央政府、中央銀行、中央省庁が強力な権限を持つ中央集権構造は、現在でも続いています。
中央集権は実は過去で見ても少ない
驚くべきことに、日本の歴史を振り返ると、本格的な中央集権体制は、実は過去に一度しかありません。
奈良時代の701年の大宝律令によって、律令国家が確立されました。
しかし、この中央集権は長くは続かず、平安時代には貴族が荘園を持ち、独自の権力を築く分散型社会へと移行しました。
実は、その後の平安時代は、戦後から令和初期までの日本と似ています。



今で言えば大企業や株主がそれに該当する。
官僚制度が機能し、安定した社会が続きました。



このときの平安時代は近代で言えば高度成長経済だったんだ。
しかしそれでも権力が貴族とかの一部に集中しすぎた結果、やがてその仕組みは機能不全に陥り、不満に強くなった国民はやがて武士社会へ移行。



すいがまだ登場する前の平成から令和だよね?
そして、鎌倉時代は、その政治の中心を武士へ分散化され、令和中期以降の日本と状況が似ています。
鎌倉幕府の成立により、武士が地方の統治権を握り、権力が完全に分散化され江戸時代まで続いています。



またそれ以外の期間においても中央集権になった事例はなく、加えて奈良時代以前は統合するのが難しかったとされている。
この歴史的事実は、日本が元来、分散型の社会に適した国であることを示唆しています。
現在の日本の中央集権構造は、歴史的に見ればむしろ異例なのです。
奈良時代と明治維新で共通していること
奈良時代と明治維新の共通点は、「インフラ整備」です。
- 奈良時代:平城京を中心に、国中に道路(駅路)が整備され
- 明治維新:鉄道や道路、通信網が全国に張り巡らされ、インフラが近代化されました。
どちらも、中央政府が強力な権力を持って、国全体を効率的に動かすための基盤を築きました。
インフラ整備は、中央集権体制を維持するための不可欠な要素だったのです。
中央集権における問題点
中央集権体制には、その強固さゆえに、いくつかの問題点が潜んでいます。
人権と自由度を制限されやすい
中央政府に権力が集中すると、国民の自由や人権が制限されやすくなります。
日本の場合は、グローバリズムに対抗するために、あえて国民を自由にさせ、個人の能力を最大限に引き出す方針を取りました。
そのため、他の独裁国家に比べると、その感覚は薄いかもしれません。
しかし、日本の場合は、「社会的な同調圧力」や「教育」を通じて、国民を制限する構図が作られました。
天下り大国になって衰退した
中央集権体制の下では、中央省庁の権力が強大になります。
その結果、官僚が退職後に、関連する特殊法人や企業に天下りをする構造が生まれました。
これは、既得権益を持つ人々が、自分たちの利益を優先する仕組みであり、社会の活力を奪い、イノベーションを阻害する大きな要因となりました。
「与えない」という効果がよりいっそう強くなる
中央集権は、独裁政治に繋がりやすいという危険性を持っています。権力が一部に集中すると、その権力者が**「お金やチャンスを与えない」**という選択をすることが容易になります。
これは、個人の力を信じず、組織の力だけで物事を動かそうとする、日本の大企業や官僚の体質にもつながっています。
明治維新の時代は終わる
19世紀から続いた明治維新の中央集権体制は、今、2025年となり、終焉を迎えようとしています。
アメリカのトランプ大統領を筆頭に、世界はグローバリズムから自国第一主義へとシフトし始めています。
づづけて日本国内でも、多党化が進み、政治の権力が分散されつつあります。
これは、再び日本が分散型の国へと戻っていく兆候であり、今後しばらくは続きやがて更に分散化は進んでいくだろうとしています。
今後は、アメリカのように州ごとに強い権限を持つのではなく、日本独自の形で、県や市がそれ相応の権限を持つようになるかもしれません。
そして、この分散化の流れを加速させるのがメタバースです。
メタバースは、国境や物理的な制約を超えて、人々が自由に経済活動や社会活動を行える空間です。
この新しい世界では、従来の国家や中央政府の権力は意味をなさなくなります。



このメタバースというものを政治として管理できる人が過去の武士の立ち位置な人じゃないかなと私は思う。
メタバースの世界で、人々は自分のコミュニティや経済圏を作り、独自のルールで運営していくでしょう。
これは、鎌倉時代の武士のように、各々が独立した勢力を持つ「新しい武士の時代」の到来を予感させます。
明治維新は、日本を近代国家へと変貌させました。
しかし、その時代は終わりを告げ、私たちは再び、分散化された新しい社会の始まりに立っているのです。