ここ数年、日本のゲーム業界は目覚ましい発展を遂げてきました。
特に、ゲームソフトという形でパッケージ化された製品は、長らく日本のエンターテイメント産業の中心的な存在でした。
しかし、そのあり方は今、大きな転換期を迎えています。
それは…

ゲームソフトは10年後ぐらいには姿を消すという
40年にわたり経済を支えたゲームソフト
日本のゲーム産業は、この40年間で驚くべき成長を遂げてきました。
1980年代のファミリーコンピュータの登場以来、任天堂やソニー、セガといった企業が世界を舞台に革新的なゲームを生み出し、日本の経済を力強く牽引してきました。
特に、ゲームソフトの売上は、国内市場だけでなく海外市場でも大きな存在感を示し、数少ない成長分野として日本の産業を支え続けたのです。
日本の産業の中でも数少ない成長
バブル崩壊後、多くの産業が停滞する中、ゲーム産業は数少ない成長分野として輝きを放ちました。



これは天下りなどが疎遠した産業だったのもあるらしいが、それを抜きにしても一番大きかったのは間違いない。
新しいハードウェアの登場、インターネットの普及、そしてスマートフォンの進化が、ゲーム市場を常に拡大させ続けてきたのです。
その結果、ゲームは単なる娯楽ではなく、日本を代表する文化として世界に認知されるようになりました。
2000年代に入りゲーム文化は広がった
2000年代に入ると、家庭用ゲーム機はさらに普及し、インターネットを介したオンラインプレイが一般的になりました。
これにより、ゲームは一人で楽しむものから、仲間と一緒に楽しむコミュニケーションツールへと変化しました。



この頃からSNSというものが出始めた
オンラインゲームの普及は、ゲームソフトの販売形態にも変化をもたらし、ダウンロード販売が徐々に広がり始めます。
2010年代にはYoutuberやVtuber
2010年代に入ると、YouTubeやニコニコ動画などの動画プラットフォームが台頭し、ゲーム実況という新たな文化が生まれました。



当時の実況は本当に楽しかったな~



今はむしろ普及しすぎて無理している感というのがあるからね…
ゲームをプレイする様子を配信し、視聴者と交流するスタイルは、ゲームの楽しみ方を大きく広げました。
さらに、その後Vtuber(バーチャルユーチューバー)の登場は、ゲームのキャラクターと現実のプレイヤーの境界を曖昧にし、エンターテイメントとしてのゲームの可能性をさらに広げました。
これにより、ゲームは「プレイする」だけでなく、「観る」ものとしても定着しました。



んでこのときにメタバースの匂いを予兆とする感じがきた。
そしてこれからは消費から作る時代へ
そして2020年代に入り、今のゲームは単に消費するだけのエンターテイメントではなくなってきています。
ゲームという土台の上で、プレイヤー自身が「創造」する時代が到来しています。
例えば、少し前にリリースしたマインクラフトやフォートナイトのようなゲームでは、プレイヤーが自由に建物を建てたり、オリジナルのゲームモードを作ったりできます。



この当時からゲームは消費から作り出すという予兆を感じさせる時代が来始めたと言われている。
これらは、ゲームソフトの持つ「既定の物語を追体験する」という性質から、「プレイヤーが物語の主人公となり、新たな物語を創造する」という性質へと移行していることを示しています。
この流れは、ゲームソフトのあり方を根本から変えつつあります。
ゲームはもはや、完成品として提供されるパッケージではなく、プレイヤーが自ら手を加えて完成させる、「創造の場」になりつつあるのです。
これは、日本の労働文化において長らく失われていた「ゼロから何かを生み出す力」を養う貴重な機会となるかもしれません。
ゲームソフトにおける抱え込む問題
しかし、この素晴らしい進化の裏側には、ゲームソフトが抱えるいくつかの深刻な問題が存在します。
中央集権構造におけるコスト増と限界
従来のゲームソフト開発は、巨大なスタジオが莫大な予算と時間をかけて制作する中央集権的な構造でした。


開発チームは数百人規模に膨れ上がり、開発費は億単位に達することも珍しくありません。
この構造は、高品質なゲームを生み出す一方で、コストの増大と開発期間の長期化という問題を引き起こしました。
結果として、リスクを避けるために既存の成功作の続編やリメイクに頼りがちになり、新しいアイデアや挑戦的な試みが生まれにくくなっています。



しかも最近はゲームソフトの値上げも全体的に高くなってきているのでもう厳しくなってきているかも



大手会社の新キャラとかも昔に比べて少なくなっているような気がする…
これは、日本の産業全体が抱える問題にも通じます。
中央集権的な構造は、新しい芽を摘んでしまい、多様性や個人の創造性を抑制してしまいます。
これ以上良いものを作るものが難しい
1970年代から技術の進化により、ゲームのグラフィックやシステムは驚くほど洗練されました。



8ビットから始まりそして今は64bit
64bitは壮大なメモリ容量によりOSのゴールになったと言われ、その後高画質化、そしてレイトレになって今に至る
しかし、その一方で、「これ以上どうすれば良いゲームになるのか?」という問いに直面しています。



でもこれは昔から言われているはずなんだけど



昔はすこし考えを見直しをすればすぐに行けたけど、技術進化が小さくなった今はどうだろうか?
現実と見紛うほどのグラフィック、複雑なシステムは、確かにすごいことですが
今となれば必ずしもそれがプレイヤーにとって「面白い」体験につながるとは限りません。



ゲームは不思議なことに質より中身何だよな



アンダーテールとかも2Dレトロでありながら売れましたもんね。
むしろ、今のテクノロジーの進化が、ゲーム本来の「面白さ」を阻害する可能性すらあるほど。
それぞれの独自が強く個人の強みが活かしにくい
これまでのゲーム開発は、会社やチームという大きな枠組みの中で行われてきました。



当時は規模は小さく、日に日に新作を出せば新たな経験が生み出せたんよね
けど一方で技術面を優先するためか、個人の才能やアイデアが、大きなプロジェクトの中で埋もれてしまうことも少なくありませんでした。



一応アイデアそのものを提出はあるので
例えば、画期的なアイデアを持つプログラマーがいても、そのアイデアがチーム全体の方向性と合わなければ、日の目を見ることはありません。
これは、日本の労働文化の根深い問題でもあります。
個人の強みよりも集団の調和を重視するあまり、創造性や個性を抑え込んでしまう傾向があります。



ゲーム業界でもやはり?



少なからずゲーム業界でも労働執着文化は見られたわね
けどそれでも当時は上がり上がりで良い作品も作れていたから多少頑張っても問題視することは少なかった気がする



熱意とかで錯覚を生み出しちゃうんですかね…
だが、ゲーム制作の未来は、より個人や小規模なチームが活躍できる場へとシフトしていくでしょう。
これからの時代ゲームソフトはなくなる?
結論から言えば、ゲームソフトというパッケージ化された枠組み自体は、10年程度でなくなっていくと考えています。
すでにその兆候は現れています。
ゲーム業界は、パッケージという物理的な制約から解放され、より自由で柔軟な形態へと変化しようとしています。その最たるものがメタバースです。
メタバースは、ゲームソフトの後継ソフトと言えるでしょう。
メタバースは単なるゲームではありません。
それは、人々がコミュニケーションをとり、経済活動を行い、そして創造活動を行うための「もう一つの現実」です。
ここでは、ゲームという枠組みを超えて、無限の可能性が広がっています。
メタバースの世界では、誰もが自分のアバターを作り、他のプレイヤーと交流し、自分だけの空間を創造できます。
それは、これまでゲームソフトが提供してきた「物語を体験する」という受動的な楽しみから、「物語を創造する」という能動的な楽しみへと、ゲームのあり方を根本から変えてしまうでしょう。
ゲームソフトがなくなることは、決して悲観的なことではありません。
それは、ゲームというエンターテイメントが、より自由で、より創造的なものへと進化していく証拠です。
そして、その進化の先にあるメタバースは、日本の創造性を刺激し、個人が主役となる新しい時代を切り拓いてくれるかもしれません。
これからのゲームのあり方は、パッケージとして提供されるものではなく、「みんなでつくり、みんなで遊ぶ」**という共同創造の場へと変わっていくでしょう。それは、私たちの働き方や生き方にも大きな影響を与えるはずです。
あなたにとって、ゲームはどんな存在ですか?