「いくら効率化しても仕事が減らない…」「人が辞めても、なぜか仕事が増えていく…」「IT技術があるのに、なぜ使わないんだろう?」
もしあなたがそう感じているなら、その答えは、私たちの脳に深く刻まれた「労働執着」という価値観にあるかもしれません。

これは、私が作った造語でごわす!



またおじさん言葉遊びをしているな・・・・
現代の日本社会が抱える問題の本質を突いていると確信しています。
まず、そもそも労働執着とは何か?
労働執着とは、「労働」と「執着」という二つの言葉を組み合わせた造語です。
「執着を手放す」という言葉は最近よく聞くようになりましたが、「労働執着」はあまり耳慣れないでしょう。



意外とありそうで聞かないわね…
労働執着を簡単に説明すると個人や組織が、労働そのものや、労働者がいる状態に過度にこだわり、依存してしまうことを指します。
労働執着の由来
労働執着は、経営の世界で使われる「労働集約型」という言葉から派生しました。
労働集約型とは、企業の経費の中で人件費の割合が高いことを意味します。



ちなみに反対は「資本集約型」



これはどういうものなの?



資本集約型は資本つまり、建物や機械などの割合が高いときに言われる言葉だ。
しかし、労働集約型は実態的に見て単なる経営用語では説明できない、日本の労働問題の根深さと、そもそも印象的にあまりピンとこないことばだったため
よりインパクトに表現するために、この「労働執着」という言葉を作りました。
事実として、日本の経営は設備投資よりも人件費の割合が高い傾向にあります。
本来なら技術の進歩に合わせて労働時間は短縮されていくはずですが、この100年間、日本の標準労働時間は8時間のまま、どころか増加しています。
ここには、単なる生産性の問題ではない、別の理由があるのです。



生産性向上しろとか言うけど、それは洗脳の1つ。
企業のトップは、効率化を進めても、労働時間を減らすのではなく、むしろ成果と仕事を増やし続けてきました。
そして今人手不足が加速しているのに安い賃金でしか募集せず、人が集まらないのに「人に依存する」という考え方から脱却しようとしません。
この共通した考え方こそ、日本人の「労働執着」的な思想に由来していると僕は考えています。
なぜ労働執着が日本の労働問題の原因と言えるのか?
労働執着は、私たちの働き方だけでなく、生き方そのものに大きな影響を与えています。
長時間労働は美徳という価値観
「残業するほど頑張っている」「長時間働く人ほど偉い」という価値観は、日本社会に根深く残っています。
しかし、これは労働執着の典型的な症状です。
効率的に仕事を終わらせても、「もう帰るの?みんなまだ仕事しているよ?」と上司や同僚に白い目で見られる。
結果よりも、「どれだけ長く働いたか」が評価される。
この価値観は、個人の生産性を下げ、心身の健康を蝕むだけでなく、新しい働き方や創造的なアイデアが生まれるのを阻害しています。
働かないやつはゴミの目で見る押し付け
「ニート」や「フリーター」に対して、社会が冷たい視線を向けることも、労働執着の現れです。
「働かざる者食うべからず」という言葉に代表されるように、「全員が同じように働かなければならない」という社会的な圧力が存在します。
これは、多様な生き方や働き方を排除し、画一的な価値観を押し付けるものです。
しかし、AIやロボットが多くの仕事を担う未来において、誰もが同じように働く必要はありません。
むしろ、自分の得意なことを活かして、個々に貢献する「分散型」の社会へと移行していくべきです。
働かないと生きていけないという洗脳
私たちは、幼い頃から「良い会社に入って、安定した給料をもらわなければ、生きていけない」という洗脳を受けてきました。
しかし、SNSやインターネットの普及により、個人で稼ぐ手段が格段に増えました。
きっかけとなるWEB2.0
会社に依存しなくても、自分のスキルやアイデアで生きていける時代が来ています。
にもかかわらず、多くの人が「会社に勤めること」に固執するのは、この洗脳から抜け出せないからです。
効率化しても仕事を増やすだけ
決めつけはITツールやAIを導入して仕事を効率化しても、なぜか仕事量は減りません。
それどころか、空いた時間で新しいタスクやプロジェクトが追加され、結局忙しさは変わらない、という状況が多くの職場で起きています。
これは、経営者が「労働者を遊ばせてはいけない」という労働執着的な考え方を持っているからです。
本来であれば、効率化によって生まれた時間は、新しいアイデアを生み出したり、スキルアップのために使われたりすべきです。
しかし、労働執着は、私たちからその貴重な時間を奪い続けています。
労働執着は殿様商売にされるだけで百害あって一利なし!
日本の労働問題の根本原因は、トップダウン型の中央集権構造にあります。
この構造は、上の人間(今でいうと政治家や財務省、経団連)が怠惰に陥り、「殿様商売」を許してしまいます。
江戸時代以前も、表向きは分散型社会でしたが、実態は殿様によるトップダウン型であり、それに反発した民衆による一揆やデモが起きてはリセットされてきました。
この歴史から学べるのは、トップダウン型の構造そのものが、上の人間をダメにするということです。



そもそも日本人は与えるという考えが弱いのでこの構造ははっきりといって法律で禁止してもいいぐらいのレベル
労働執着は、このトップダウン型構造を維持するための思想であり、私たちを搾取する側にとっては都合の良いツールです。
私たちは、この労働執着という呪縛から解放される必要があります。
それは、単に楽をすることではありません。
自分らしい生き方、働き方、そして幸せを追求するための第一歩なのです。
あなたも、この「労働執着」から抜け出すために、今日からできる小さな一歩を踏み出してみませんか?