日本の歴史を振り返ると、私たちは何度も同じ過ちを繰り返してきたように見えます。
格差が拡大し、社会が疲弊し、そして衰退していく。
その原因は、単に「中央集権か分散型か」という構造的な問題だけではありません。
もっと根深いところに、その真の原因が潜んでいます。
昔も今も、格差は同じことを繰り返した
「今も昔も、格差社会だ」と感じる人は多いでしょう。
現代の日本では、国民負担率が50%を超えると言われており、これは国民が稼いだお金の半分以上が税金や社会保障費として徴収されていることを意味します。
これにより、多くの人が「頑張って働いても生活が楽にならない」と感じています。
しかし、これは決して新しいことではありません。
実は、江戸時代にも「五公五民(ごこうごみん)」という言葉がありました。
これは、年貢として収穫量の5割を幕府や藩に納めるという厳しい税制度です。

収穫量5割!?
一体何にそんなに使うんだ!?



昔は米が証券とかの代わりとして資産の主流だったんだ
現代の国民負担率と比べても、その重税ぶりがわかります。
私たちは、形を変えながらも、常に同じような格差に苦しんできました。
すべてはピラミッド型というものが元凶


この繰り返される格差の共通点、それは「ピラミッド型」という構造です。
ピラミッド型とは、少数のトップがすべての権力や富を独占し、多くの人々がその下に位置する階層構造のこと。
この形はなんか見たことあるな?と思うかもしれないけど。
そう組織図でよく使われる構図でもあるんです



これは会社にもよるけど、大企業だと
- 会長
- 社長
- 副社長
- 部門長
- 部長
- 課長
- 平社員



こんなに多いと扱いにくくない?



しかも距離が離れているから社長と平社員だとまず会話するケースはまあないね。
特に日本は、昔から「トップダウン型」という方式を好んで採用してきました。
これは、上層部が意思決定を行い、それを下層部に指示する方式です。
例えば、封建制度の時代には、将軍や大名がトップに君臨し、その下に武士、農民、職人、商人が位置する厳格な身分制度がありました。
この構造は実に武士社会の前の1000年以上も続き、人々の生活や考え方に深く影響を与えました。
そして、現代の日本でも、このピラミッド型の思考は根強く残っています。
そして現代でも大企業や官公庁では、トップがすべてを決め、末端の社員はそれに従うのが当たり前とされています。



考えられないな…!
おじさんの世代とかは当たり前なのか?



いやいやもうその頃から違和感ありまくりとなってきたんだ。1990年代ぐらいまではこれが当たり前だったみたいだけど
このピラミッド型の構造は、一部のトップには非常に都合が良いものです。
彼らは、多くの富と権力を手に入れ、自分の都合の良いように社会を動かすことができます。
しかし、その一方で、下の層にいる人々は、どんなに努力しても報われず、常に不満を抱え続けることになります。



ちなみに今の将軍に誰が相当するものはというと「財務省」が事実上該当する



まあそうなってしまうよねー
だって五公五民にしているのも財務省だしな…
この構造が、社会の活力を奪い、新しいアイデアや創造性が生まれるのを阻害しています。
ピラミッド型の脱却は、本当にこれまでの歴史で大きな革命
歴史を振り返ると、ピラミッド型の構造から脱却しようとする動きが、社会に大きな変革をもたらしてきました。
例えば、フランス革命は、王政というピラミッド型の頂点を打ち崩し、市民が主権を持つ社会を目指しました。
日本の明治維新も、封建制度という古いピラミッド型を破壊し、近代国家へと生まれ変わるきっかけとなりました。
そして今、私たちは再び、ピラミッド型からの脱却という、歴史的な転換点に立っています。
インターネットやSNSの普及により、誰もが情報を発信できるようになりました。
AIやWEB3.0といった新しい技術は、中央集権的な権力構造を必要としない、「分散型」の社会を可能にしようとしています。
これは、単に技術的な変化ではありません。それは、私たちの働き方、生き方、そして社会のあり方そのものを変える、大きな革命です。
私たちは、この革命の波に乗るか、それとも古いピラミッド型の構造に囚われ続けるか、という選択を迫られています。
この革命を成功させるためには、私たち一人ひとりが、ピラミッド型に支配された思考を捨て去る必要があります。「上司の言うことは絶対」「会社に一生尽くす」といった古い価値観から解放され、自分の頭で考え、行動する勇気を持つことです。
ピラミッド型の呪縛から解放された時、私たちはきっと、より公平で、より創造的な、新しい社会を築くことができるでしょう。