「普通って何だろう?」
そう考えたことはありますか?私たちは無意識のうちに、社会の「普通」に合わせて生きています。
良い学校を出て、安定した会社に就職して、結婚して、子どもを育てる……。

でも、この「普通」という考え方は、実は時代によって大きく変わってきた。
歴史を振り返ると、おおよそ80年周期で、社会の価値観がガラッと変わる傾向が見られます。
一見するとゆっくりとした変化に思えるかもしれませんが、まるでグラデーションのように、少しずつ、でも確実に、私たちの「普通」は変わっていくのです。
今の「普通」とはなんだろうか?
今の「普通」とは、どのようなものでしょうか?



一言で言えば、「安定を求めて生きること」
かもしれません。
良い会社に入って、終身雇用を信じ、年功序列で給料が上がっていく。
マイホームを買い、老後は年金で暮らす。これは、戦後の高度経済成長期に形成された価値観であり、現代でも多くの人が目指す「普通」の生き方です。
しかし、この「普通」はもう限界を迎えています。
終身雇用は崩壊し、年金制度も先行きが不透明です。
非正規雇用が増え、一つの会社に依存することのリスクが顕在化しました。



これをきっかけに会社を見限る人がどんどん増えてきた
それでも、私たちは「安定」を求めてしまいます。
それは、私たちの中に染み付いた「普通」という呪縛から、なかなか抜け出せないからかもしれません。
戦中の「普通」の考えは?
では、今から約80年前、第二次世界大戦の時代はどうだったでしょうか?



ではその前の普通というのはどうなのか?



今のような平和的な普通とは全く違うぜ…
当時の「普通」は、「国のために命を捧げること」でした。
「お国のために戦争に行く」ことが当たり前であり、それが最高の美徳とされていました。



なぜなら、当時は国という「中央集権」が圧倒的な力を持っており、国民はそれに従うことが当然だと考えられていたから。



今も相当強いけど、昔はもっと強かったんだ…
国に従うことが「普通」であり、逆らうことは「非国民」と見なされました。
今の私たちから見れば、信じられないような価値観ですよね。
しかし、当時の人たちにとっては、それが紛れもない「普通」だったのです。
私たちは、80年前の「普通」に強く抵抗を感じます。
それは、現代の価値観が、当時のそれとは全く違う方向に向かっているからです。



そもそも戦争とかは誰が望むんだという話。
今まさに戦争を起こそうと人を巻き込もうとすれば間違いなく暴動は起きる
私たちは、もはや国や組織に盲目的に従うのではなく、個人の自由や多様性を尊重するようになってきています。
これからにおける「普通」は?
じゃあ、これからの「普通」ってどうなるの?
もちろん、今後も「普通」という概念は存在し続けます。



でも、その中身は、今とは全く違うものになる。
これから来る新しい「普通」は、「分散すること」がキーワードになります。
会社という一つの組織に依存せず、複数の仕事を持つ。
日本円という一つの通貨に依存せず、仮想通貨など複数の資産を持つ。
会社や国といった中央集権的なものから離れて、個人が自由に繋がり、新しいコミュニティを形成していく。
そして、その新しい「普通」を形作るヒントは、「利用する」「体験する」「分散する」の3つに隠されています。
- お金を払って何かを「所有」するのではなく、サービスを「利用」する。
- モノを買って満足するのではなく、忘れられないような特別な「体験」に価値を見出す。
- そして、すべてを特定の場所に集中させるのではなく、「分散」させてリスクを減らす。
これらのキーワードが、これから私たちの新しい「普通」になっていくでしょう。
少し難しく感じるかもしれませんが、これは長くなりそうなので、次の記事で詳しくお話しさせてくださいね。
まとめ
私たちが考える「普通」は、時代とともに変わっていくものです。
80年前の「国のために尽くす」という「普通」は、今では考えられません。そして、今の「安定を求める」という「普通」も、近い将来には時代遅れになっているかもしれません。
これからの時代は、「分散」という考え方が新しい「普通」を形作っていくでしょう。この流れを理解し、受け入れることで、私たちはより自由に、そして自分らしく生きられるようになるはずです。