メタバースと執着の相性が悪い理由

メタバースの進化は目覚ましく、私たちの生活に新たな可能性をもたらしています。

しかし、その一方で「執着」という人間の根源的な感情が、メタバースの真価を発揮する上で障害となる可能性を秘めていると私は考えます。

本稿では、執着がメタバースと相性が悪い理由について考察します。

目次

メタバースと執着の相性が悪い理由

にゃもも

どうして人が持つ「執着」がメタバースと相性が悪いの?

アクア

これは結論から言えば「真逆」だから起こりえるんだよね

にゃもも

真逆ですか…

そんな人が誰もが持つ「執着」はメタバースと真逆の発想なので当然相性が悪いです。

その理由は3つ。

執着は自由な発想を失わせる

私たちは現実世界で、多かれ少なかれ固定概念を持って生きています。

例えば、「こうあるべきだ」という規範や、「これはこうだ」という常識など、過去の経験や社会の慣習によって培われた考え方です。

アクア

土の時代の黄金期だった「バブル時代」まではこれでよかったけど

これらは、ある程度の秩序を保つ上では機能しますが、新たな価値観や変化を受け入れる際には足かせとなることがあります。

メタバースは、現実世界の物理的・社会的な制約から解放された、まさにオープンな世界です。

にゃもも

たしかに殺伐とした都会な世界とは逆よね…

アバターの姿、性別、役割、そして存在する場所までもが、現実の常識に縛られることなく自由に選択できます。

現実世界での成功体験や社会的地位、あるいは確立された自己のアイデンティティに執着することは、このメタバースの持つ無限の可能性を自ら閉ざしてしまうことにつながります。

例えば、現実世界で経営者である人が、メタバースでも常にリーダーシップを発揮しようとすることや、特定のファッションスタイルに固執してアバターの姿を変えようとしないことなどが挙げられます。

メタバースでは、全く異なる役割を演じたり、想像もつかない姿になったりすることで、新たな自己を発見し、未知の体験をすることができます。

しかし、執着があるために、こうした挑戦や変化を無意識のうちに避けてしまうのです。

狭い空間の現実とは真逆のメタバース

私たちの現実世界は、物理的な空間に制約されています。

住む場所、働く場所、交流する場所など、私たちの生活圏は限定的であり、その中で人間関係や所有物が形成されます。

この狭い空間の中で、私たちは特定の場所や物、人に対して愛着や執着を抱きがちです。

しかし、メタバースは物理的な制約をほとんど受けません。

アクア

例えば電車を動かすための「電気」いらずで動く
人間を生きていくためには「水」が不要で生きれるなど…

地球の裏側にいる人とも瞬時に繋がり、想像上のファンタジー世界から、未来都市、あるいは歴史上の時代まで、無数の仮想空間を瞬時に移動できます。特定の場所に執着し、そこに留まろうとすることは、この広大なメタバースの恩恵を十分に享受できないことにつながります。

例えば、特定のゲームワールドにしか参加せず、他の多様なワールドの存在を知ろうとしないユーザーは、メタバースの持つ「流動性」や「多様性」を体験する機会を失います。

執着は、私たちを現状維持へと導き、変化や新たな挑戦を恐れる心理を生み出します。これは、常に進化し、変化し続けるメタバースの本質とは根本的に相容れません。

コミュニケーション意識が強いから

近年、「風の時代」という言葉が象徴するように、私たちの価値観は物質的な豊かさから、情報、知識、そしてコミュニケーションへとシフトしつつあります。

物理的な所有や地位に執着するのではなく、多様な人々と繋がり、情報を共有し、共感を生み出すことが重要視される時代へと移行しています。

メタバースは、まさにこの「風の時代」の到来と完璧にマッチしています。

物理的な距離や制約を超え、世界中の人々とリアルタイムで交流できるメタバースは、コミュニケーションが最も重要な概念の一つとなるでしょう。

物理的な制約を超えた交流

現実世界では、私たちは物理的な距離や言語、文化の壁によって、交流できる範囲が限定されがちです。

しかし、メタバースでは、これらの制約が大幅に緩和されます。異なる国籍、異なる文化を持つ人々が、共通の興味や目的を持って集まり、交流することができます。

特定のコミュニティや特定の人間関係に執着することは、この広大なコミュニケーションの可能性を自ら閉ざしてしまうことになります。

例えば、現実世界の友人や知人との関係にのみ固執し、メタバース上で新たな出会いや交流を求めない場合、その人はメタバースが提供する多様な視点や価値観に触れる機会を失います。

メタバースのコミュニケーションは、単なるテキストチャットや音声通話に留まりません。

アバターを通じた非言語的な表現、共通の空間での共同作業、あるいはロールプレイングなど、多岐にわたるインタラクションが可能です。特定のコミュニケーションスタイルや関係性に執着することは、こうした多様な表現方法を試す機会を失うことにもつながります。

コミュニケーションの「流動性」

現実世界での人間関係は、時間と共に深まり、ある程度の安定性を持ちます。

しかし、メタバースでの人間関係は、より流動的であると言えます。共通のイベントに参加したり、一時的に協力したりする中で関係が生まれ、その後、別の興味の対象へと移ることも珍しくありません。

特定の関係に「執着」し、それを永続させようとすることは、このメタバースにおける関係性の流動性と衝突する可能性があります。

例えば、現実世界と同じように、特定の人物との深い絆を求めすぎると、それが叶わなかったときに失望したり、新たな関係を築くことをためらったりするかもしれません。

メタバースでは、「つながる」こと自体に価値があります。

深く限定的な関係性だけでなく、多様な人々との軽やかな繋がりが、新たな発見やインスピレーションをもたらします。執着を手放し、オープンな姿勢で人々と交流することで、メタバースは真に豊かなコミュニケーションの場となるでしょう。

とにかく広い

メタバースの最も顕著な特徴の一つは、その広大さです。

現実世界が物理的な資源や空間の制約を受けるのに対し、メタバースは無限大に広がる可能性を秘めています。

無限の広がりと資源の概念の希薄化

現実世界では、土地、水、エネルギーといった資源は有限であり、その希少性が価値を生み出します。

私たちは、限りある資源を巡って争ったり、特定の所有物に執着したりします。

しかし、メタバースにおいては、この「限りある資源」という概念が希薄になります。

デジタルデータであるメタバースの空間やアイテムは、理論上は無限に複製・生成が可能です。

もちろん、サーバー容量開発リソースといった制約は現時点では存在しますが、技術の進化と共にその制約は軽減されていくでしょう。

現在、多くのメタバースプラットフォームは、サーバーの制約からマップが狭い傾向にありますが…

アクア

まだ今は「黎明期」

Minecraft(マインクラフト)のようなゲームが示すように、無限のオープンワールドが主流になることは十分に考えられます。

ユーザーが自由に土地を創造し、そこに建物を建て、活動するような世界が当たり前になるでしょう。

このような「とにかく広い」世界において、特定の場所やデジタルアセット(仮想空間内の資産)に執着することは、その広大な可能性を自ら限定することになります。

例えば、特定の土地を所有することに執着するあまり、他の魅力的なワールドや、より創造的な活動の場を探求しないのは、メタバースの真の価値を見逃していると言えます。

執着が探索を妨げる

「執着」は、私たちを慣れ親しんだ領域に留まらせようとします。

未知の領域への不安や、変化への抵抗感から、新しい場所を探索したり、異なる体験に飛び込んだりすることをためらわせます。

しかし、メタバースは、その無限の広さゆえに、常に新しい発見があります。

新しいワールド、新しいイベント、新しいコミュニティが日々生まれています。執着を手放し、好奇心を持って積極的に探索することで、私たちはメタバースの奥深さや多様性を体験することができます。

例えば、特定の仮想空間の経済圏での成功に執着するあまり、他の経済圏や活動の場に目を向けない場合、その人はメタバース全体の経済システムの進化や、新たなビジネスチャンスを見逃してしまうかもしれません。

メタバースは、常に移り変わり、進化していく世界です。この流動性を受け入れ、執着を手放すことで、私たちはより柔軟に、そして効果的にメタバースの広大な世界を航海できるようになります。

メタバース時代の新しい生き方:執着を手放す唯一の解決法

メタバースが私たちの生活に浸透していく中で、その無限の可能性を最大限に活かすためには、私たち自身の内面と向き合う必要があります。

その鍵となるのが「執着」を手放すことです。シンプルに聞こえるかもしれませんが、これが唯一の解決法であり、最も効果的なアプローチとなります。

しかし、自分の執着とは何か、具体的に把握するのは意外と難しいものです。

私たちは普段、無意識のうちに様々なものに執着しています。

まずは、自分がよくしている行動や、心を揺さぶられる出来事を具体的に思い浮かべてみましょう。

にゃもも

うーん私は…

例えば、

  • ゲームのキャラクターをどうしてもコンプリートしたくて、多額の課金をしてしまい、結果的に貯金ができない…」
  • 「気に入った服は色違いでも全て買わないと気が済まない
  • 「SNSで『いいね』の数**ばかり気にして、投稿内容が本心からズレてきている」
  • 「友人の投稿を見て、自分も同じような場所に行かなければと焦る」
  • 「過去の成功体験に囚われ、新しいことへの挑戦をためらっている」

これらは全て、何らかの形での「執着」の現れです。

ゲームのキャラクターに執着することで、経済的な自由を失い、SNSの「いいね」に執着することで、自己表現の自由が損なわれているかもしれません。

特定の成功体験に執着することで、新たな成長の機会を逃している可能性もあります。

このような執着のほとんどは、個人レベルで対応し、手放すことが可能です。

自分の行動や感情を客観的に見つめ直し、なぜそれに執着しているのか、その執着が自分に何をもたらしているのか(あるいは奪っているのか)を深く掘り下げてみましょう。

「労働執着」という特別な問題

ただし、唯一、個人レベルでどうにもならない「執着」があります。

それが「労働執着」です。

にゃもも

この労働執着は他と何が違うの?

これは、日本の社会全体に深く根付く「労働美徳」という価値観に起因するものです。

私たちは幼い頃から、「勤勉に働くことこそが善である」「長時間働くことこそが美徳である」といったメッセージを受け取ってきました。

アクア

あたいらと同じ若い世代や海外ならこの内容は違和感かもしれないけど、上の世代とかはこれを教育されているみたいなんだね

にゃもも

教え方は本当に大切ですね…

これにより、無意識のうちに労働そのものに執着し、仕事から離れることや、自分の時間や幸福を優先することに罪悪感を覚える傾向があります。

「労働執着」は、個人の意識の問題だけでなく、社会制度や企業文化が複雑に絡み合っているため、一朝一夕で解決できるものではありません。

これは、国や社会全体で議論し、制度そのものを変えていく必要がある、より大きな課題と言えるでしょう。

アクア

労働執着を手放したいならまずは選挙は行こう。
それから独立化するなりしていこう。

それ以外の執着は手放せる

「労働執着」は例外として、それ以外の個人的な執着であれば、私たちはそれらを手放すことができます。

執着を手放すことは、単に何かを「捨てる」ことではありません。

それは、あなたがもっと自由になり、もっと多様な経験をし、もっと豊かな人生を送るための第一歩です。

メタバースは、現実世界の物理的な制約や社会的なしがらみから私たちを解き放つ可能性を秘めています。しかし、その恩恵を享受するためには、まず自分自身の内側にある執着の鎖を解き放つ必要があるのです。

まとめ:執着を手放し、メタバースの無限の可能性へ

メタバースが私たちの日常に浸透し、新たな体験や生き方を提案する時代が到来しています。

しかし、その広大で自由な世界を真に享受するためには、私たち自身の内にある「執着」という感情と向き合うことが不可欠です。

執着がメタバースと相性が悪い理由として、以下の3点を挙げました。

執着は自由な発想を失わせる

コミュニケーション意識が強いから:

とにかく広いから

これらの理由から、執着はメタバースの真価を体験する上での大きな障壁となります。

唯一の解決法:執着を全て手放すこと

執着を手放し、メタバースの無限の可能性へと、あなた自身の扉を開いてみませんか。

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