「日本は労働集約型の産業が多いから、長時間労働は仕方ない」──。そんな言葉を耳にするたび、私は強い違和感を覚えます。果たして本当にそうでしょうか?

最近の若いやつは「根性なし」「豆腐メンタル」とか言うけど。
それあんたらの考えが傲慢だけじゃない?



いきなりストレートだね・・・
確かに、製造業やサービス業など、人の手や時間なくして成り立たない分野は存在します。
しかし、問題の核心は、そうした産業形態そのものよりも、私たちの心に深く根ざした「労働執着」という価値観にあるのではないでしょうか。
成果や効率よりも、どれだけ長く働くか、どれだけ会社に尽くすか、といった「時間」と「精神論」が美徳とされるこの歪んだ構造が、過労死、少子化、そして停滞する生産性の真の原因なのです。



最近話題となっている国家の搾取(長いのでこれで察して)問題もそうだけど
この「執着」から目を背け、社会のあり方を根本から問い直さない限り、日本は真の豊かさを手に入れることはできません。
今こそ、この現実に気づくべき時です。



今回メタバースとは全く関係ないけど、今後の生活においてわりとガチで重要だから書いた。
というわけで今回の記事は
- そもそもなぜ労働そのものが存在するのか?
- 問題解決はほとんど解消している・・・残っている問題は?
- 労働集約型ビジネスと労働執着の違い
- 労働執着すると何が悪いか?
- 労働執着を手放すためにはどうすればいいか?
を独断と偏見、炎上覚悟で書いていきます。
なぜ人は今も労働するのか?
「なぜ働くのか?」と問えば、現代の多くの人が「お金を稼ぐため」と答えるでしょう。
ただ、その目的は人それぞれで
- 「生活費のため」
- 「住宅ローンや奨学金の返済のため」
- 「SNSで見栄を張るため」
- 「推し活のため」
- 「FIRE(経済的自立と早期リタイア)を目指すため」
など、多岐にわたります。
お金以外の目的で働く人は、正直言って少数派かもしれません。



確かに今思えば、積極的に働きたいという人あんまり聞かないわね・・・
近年、「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉が注目されていますが、これはまさに「コストパフォーマンス」を重視した労働観の表れでしょう。
必要最低限の業務をこなし、それ以上の努力はしないという姿勢は、合理的に見えるかもしれません。
しかし、これは「人間の道徳観」からすれば、本当に健全な状態と言えるのでしょうか。
私は、そもそも現代社会における労働の目的そのものが大きく歪んでしまっていると考えています。
本来、労働の真の目的は、人生が豊かになっていくことへの期待にあったはずです。
かつて、人々はより良い暮らし、より快適な生活を求めて働き、その努力が報われることで社会全体が豊かになっていきました。
しかし、今の日本はどうでしょう? 多くの人が家を持ち、食料は豊富にあり、衣類や日用品も溢れかえっています。
技術的な進歩は素晴らしいですが、一部の革新を除けば、これ以上の「生活の豊かさ」を劇的に向上させる余地は、もうほとんど残されていないのではないでしょうか。



家の性能や物をなくすといったものはまだまだ上がれるけど、本当にそれぐらい。
もしあったとしても、その快適性はごくわずかな差でしかありません。
私が言いたいのは、労働の目的は「これから楽になることを期待する」ためにあるのであって、「お金を稼ぐ」というのは本質的に違う、ということです。
もちろん、お金がたくさんあれば豊かになるのは事実で、例えば1億円といったまとまった資産があれば、投資などで生活費を賄い、仕事をしなくても暮らしていける時代になりました。
しかし、この「お金があればあるほど豊かになる」というお金一極集中型の価値観が、結果的に「お金があれば評価される」という歪な社会を作り出し、さらには「労働執着」を生む温床になっているのです。
収入を増やすために転職を繰り返すことも、この労働執着を加速させる一因と言えるでしょう。



でもこれは人間の欲となる本質だから仕方ないこと。
アメリカがいい例で、転職もやればやるほどどんどんハードルが上がっていて、今実際かなり厳しいんだとか・・・そのため制度の仕組みそのものを根本を変えないといけないのだ。
一人暮らしであれば、生活費は控除や住む場所にもよりますが、手取り300万円もあれば十分に足りるはずです。
これ以上の収入は、基本的に「贅沢を求めるため」と考えるべきです。



あにーんによれば
生活と贅沢の費用は分けとけとか
後述しますが、東京の中心部に住むこと自体が贅沢であり、住む場所や仕事を変えれば、必要以上の収入を追い求める必要はなくなります。
歴史を振り返っても、「お金を稼ぐこと」だけを労働の目的とすることは、ろくな結果を招かないケースがほとんどでした。



でもお金を稼げば楽になるけど・・・でもなんで?



それを目標にするとね、お金の執着を生むからろくにならんのよ
ここで重要なのは、私たちがなぜお金を稼いでいるのか、その仕組みを知ることです。
今のビジネスのほとんどは「問題解決」を軸としています。
人々の悩みや不便を解消することで対価を得る。
これが、現代における稼ぐことの本質と言えるでしょう。



そもそもね思ったけど、金融投資というのは筋違いというわけだ



確かにあれは稼いだお礼じゃなく、自分のためだけですもんね・・・
今は殆どの場合問題解決型は解消していて・・・本当に残っているのは
さて、ビジネスの本来の目的は、人々の問題を解決することにあります。これは「土の時代」以前、つまり現代のような豊かさがなかった頃には、非常にうまく機能していました。
昔の生活基盤は、文字通り「サバイバル」と言えるほど貧しいものでした。食料は限られ、住む場所も十分ではない。しかし、人々はそれぞれ何かしらの「強み」を持っていました。
たとえば、農家は野菜や米といった食料を、大工は家を建てる技術を持っていました。
もちろん、それらを実現するには専門的な知識が必要で、現代のような便利なツールがない時代ですから、体力勝負の側面も大きかったでしょう。
しかし、どんなに優れた技術や強みがあっても、単独で生きていくことはできません。
家がなければ凍え死に、食料がなければ餓死する。このままでは長くは持ちません。
そこで人々は、それぞれの「得意」を提供し、対価として必要なものを手に入れるために交換条件で取引をするようになりました。これこそが、本来のビジネスの原点なのです。



マイクラをやったら元祖がイメージしてわかるよ
当初、取引の手段は米や小判、あるいはそれ以外の物々交換といった形で統一されていませんでした。
しかし、やがて国が成立し、取引を円滑に進めるために「お金」という統一された交換ツールが生まれました。
そう、それが今の日本円です。お金というツールが統一され、戦後から現在に至るまで活発な取引が行われた結果、私たちの生活における「問題」の多くが劇的に解消*されていきました。
遠くへ移動したければ電車やマイカーがあり、住む場所にはマイホームか賃貸かを選べ、娯楽にはゲーム機や様々な施設があります。私たちの生活は十分に豊かになり、結果として寿命も大幅に伸びました。
では、これほどまでに豊かになった現代の日本において、本当に解決すべき「問題」は何なのでしょうか?
これはあくまで私個人の見解ですが、今残されている根本的な問題は、正直なところたった3つしか思いつきません。
- 資源の枯渇と新たな採掘場所の確保
- 労働依存
- 経済格差の解消と独裁者問題
これくらいしか残っていないのです。
1つ目の資源については、新たな技術や場所が見つかる可能性があるので、ここでは深く語る必要はないでしょう。



日本は陸が少ないが、海が多い国。
つまり未発見が多くまだまだ伸び息が大きい。
しかし、今回の記事で最も問題にしたいのは、残りの2つ、つまり「労働依存」と「経済格差の解消、そしてそれに伴う独裁者問題」です。
そう、今の日本が抱える問題の多くは、実は私たちが「搾取されている」という構造にあることに気づいているでしょうか?
2つ目の「労働依存」は、主に企業の経営陣や上層部、そして「労働は美徳」という日本の悪しき価値観が絡み合って生まれた問題です。
そして3つ目の「経済格差と独裁者問題」は、財務省や政治家をはじめとした国家レベルの問題と言えるでしょう。
これらはつまり、現代社会における「既得権益」という温床になっているのです。
この既得権益構造が、私たちに「お金への執着」を生み出し、その結果として「労働への執着」を生み出す根本原因になっているのです。



特に3つ目は絶対に変えないと2つ目が良くなったとしても治らない。
労働集約型と労働執着の違いは?
まず、労働集約型とは、専門用語で言えば、労働者の数や投入する労働時間によって収益が決まるビジネスモデルを指します。簡単に言うと、人手や時間があればあるほど稼げるのが特徴です。
農業や漁業といった体力を使う産業はもちろんのこと、事務作業やIT専門職のような知識を要する分野も、多くの労働者の存在に依存しているため労働集約型に含まれます。
反対の概念は資本集約型ビジネスで、こちらは土地や建物、高価な機械といったモノや設備、あるいは金融資産を中心にビジネスを展開します。賃貸業や金融投資などが典型的な例です。
しかし、労働集約型ビジネスそのものが「悪」というわけではありません。
むしろ、どのようなビジネスも最初は労働集約型から始まるのが一般的であり、ある意味では避けられない段階です。
しかし、長期的に見れば、このモデルには限界があります。
人件費は必然的に上昇し、それに伴って物価も上がれば、効率は低下していきます。
かといって、人件費を維持したり、ましてや下げたりすれば、優秀な人材はあっという間に離れてしまうでしょう。
現代において、そんな方法は絶対に通用しませんし、ろくな結果を招きません。
生産性を向上させるためには、最終的にはプロセスを自動化したり、効率的な仕組みを導入したりする必要があり、労働集約型はあくまで一時的なものとして認識しなければなりません。
一方、労働執着とは、改善の余地があるにもかかわらず、いつまでも労働者に過度に依存したり、不必要に長時間働かせたり、あるいは「労働しなければ成立しない」という精神論に陥る状態を指します。
個人レベルでも、稼いだお金を貯蓄せず全て使い切ってしまい、労働時間を減らすための仕組み作りを怠ることも労働執着の一種です。
また、「労働は美徳である」という根深い価値観も、この労働執着を深刻化させる大きな要因となっており、この考え方を「死語」にしない限り、根本的な改善は見込めません。
家事に関しても、「家事は女性がやるもの」「長時間労働で稼いでこそ」といった固定観念や、「年収〇〇からがステータス」といった見栄も、労働執着やお金への執着を引き起こす原因になっているのです。
今のビジネスの仕組み
今の日本は、人手不足が深刻化する一方で、生成AIなどのテクノロジーが急速に発達し、多くの業務が効率化されています。これに伴い、民間企業は**「労働の省人化」**を積極的に進めており、まさに「脱労働集約」に向けて大きく舵を切っているのは事実です。
しかし、せっかく民間企業が労働からの脱却を図ろうとしているにもかかわらず、その動きを阻害しているのが**「国家」**という存在です。
そう、今の日本の生産効率が悪い最大の原因の一つは、国家や行政の無駄があまりに多いからです。これは国会議員や多くの経営者も問題視しているほどで、私たち自身も行政手続きの際に、なぜこれほど多くの書類提出が必要なのかと辟易することが少なくありません。無駄の多さ、そしてそれによって生じる非効率性は、想像を絶するものがあります。
この非効率性の根源には、「終身雇用」という制度が深く関わっています。行政内部で効率化を進めれば、当然ながら職員の仕事は減ります。しかし、終身雇用を維持し、職員を解雇する手間を避けるために、あえて無駄な業務を増やし、あるいは既存の業務を複雑化させてきた側面があるのです。例えば、消費税に関する書類の多さにうんざりしている人も多いのではないでしょうか。これは、官僚が自身の権限を守るために、意図的に無駄を増やしてきた結果と言えるかもしれません。天下り制度などは、その典型的な例です。
さらに、今のビジネスの仕組みを理解する上で、私たちが知っておかなければならないのは、現代のお金の動きが「金融資本」によって成り立っていることが多いという事実です。
日本は長らく「人的資本」への投資を怠ってきた一方で、「金融資本」への投資は積極的に行ってきました。
なぜか?それは、投資を行う人たちが「お金持ちになるから」。それだけです。
つまり、金融資本への投資は、国民全体や社会全体に還元される要素が非常に少ないということを意味します。
もちろん、金融資本の増強は、企業の体力向上に繋がり、経営の安定には貢献します。
しかし、道徳的な観点から見れば、これが必ずしも良いことばかりではありません。
実際に、今のNISA(少額投資非課税制度)も、国会議員やいわゆる「上級国民」といったお金持ち層の資産形成を助長するために作られた側面があると言えるでしょう。実際に、彼らの資産は着実に増え続けています。
これはつまり、自己利益だけを追求するための仕組みであり、その実態を知れば胸糞が悪くなる感情を抱く人もいるかもしれません。
金融投資が活発になれば、株の仕組み上、企業の自由な経営が減り、経営陣は短期的な利益に走りがちになります。
結果として、それが労働者を疲弊させる原因となるのです。
短期的な利益を追求するあまり、経費削減と称してリストラが頻繁に行われたり、下請け企業への不当な圧力、いわゆる「下請けいじめ」が横行したりすることもあります。
このように、株主の利益を最優先する経営は「株主第一主義」とも呼ばれ、現代社会で大きな問題となっています。
そのため、「自分も株主になって権利を行使すれば良い」と考えがちですが、そもそも個人が影響力を持つほどの株を購入するには膨大な資金が必要であり、仮にそうしたとしても、結局は労働者を犠牲にする仕組みに加担する形になってしまう可能性があります。
こうした金融資本の歪んだ影響力に対しては、何らかの形で規制が必要不可欠と言えるでしょう。
労働執着は何が悪い?(デメリット)
正直なところ、労働執着にメリットはほとんどありません。
強いて言えば、現状維持を望む資本家や一部の上層部が、変化することなく楽をして儲けることができるという点くらいでしょう。
しかし、労働者側からすれば、まさに百害あって一利なし。その具体的なデメリットを掘り下げていきましょう。
性格がどんどん悪くなる
お金に余裕がなければ、人は心の余裕を失い、次第に性格が悪くなっていきます。
最近、「若い世代の接客の質が低下している」という声を聞くことがありますが、これは彼らが生活に余裕がないことや、労働が対価に見合っていないと感じていることが大きな原因ではないでしょうか。
人間は、常に急かされる環境や、頭を過度に使うことに本来向いていません。
現代の労働環境は、多くの人にとってキャパオーバー気味であり、それが積もり積もってイライラしやすくなり、性格が荒んでいくのです。
また、現状維持を望んでいても、体力や精神がついてこなければ、結局はストレスが溜まり、さらに負のループに陥ってしまいます。
長時間労働になりがちで不健康になる
残業をしてまでお金を稼ぐという考え方は、もはや論外です。
少し前までは「時代遅れ」で済まされたかもしれませんが
ITが高度に発達した現代において、これはもはや「ありえない」話です。
現在の法定労働時間である1日8時間、週40時間という基準も、もはや時代遅れだと考えるべきでしょう。
もし、それが自分の本当にやりたいビジネスであれば、情熱で乗り切れる部分もあるかもしれません。
しかし、他人の時間を使って雇われているだけの関係では、精神的なリターンは少なく、結局のところ長続きしません。
1日8時間、週40時間という労働時間は、まるで当たり前のように思われていますが、IT社会である現代の日本では、この基準は合っていません。
なぜなら、ITは仕組み上、情報が吸収しやすいため、脳が格段に疲れやすくなるからです。
ある資料によると、人間がディスプレイと向き合うVDT作業の限界時間は4時間程度だと言われています。
正直、6時間でも若い人ならいけるかもしれませんが、それでも「きつい」と感じるのが現実でしょう。
結局、長時間労働は、労働執着という悪しき価値観が産み落とす負の遺産なのです。
目的が快適になるというのを忘れて、お金を稼ぐという目線しかミられなくなる
前述の通り、本来、労働の目的は、人々の生活が快適になり、より良い生活水準を享受することにありました。
しかし、現代社会では「お金を稼ぐ」という目線でしか物事を捉えていない人があまりにも多く、その結果、本来の目的が完全に忘れ去られています。
加えて、お金というものは、まさに底なし沼です。使えば使うほど欲望が肥大化し、際限なく「もっと欲しい」という気持ちに駆られます。この無限の欲求が、結果として「もっと稼がなければ」という労働執着気質を加速させてしまうのです。
格差がどんどん酷くなる(グローバル化)
お金に関する執着が根底にありますが、現代のグローバル社会は、良くも悪くも「努力して仕組みを理解し、活用した者ほど豊かになる」という構造になっています。
これは、労働者にも同じことが言えます。例えば、ITスキルを身につけて高収入の転職を繰り返す人は、着実に経済的に豊かになっていくでしょう。
一方で、現状維持に甘んじ、努力をしない人は、相対的に貧困になっていく傾向にあります。
この結果、格差がどんどん広がり、相対的な貧困が生まれます。
そして、貧困に陥れば、生活のために必死でお金を稼がなければならなくなり、結果として「労働執着」という悪循環から抜け出せなくなります。
これは、グローバリズムを推進してきた国家そのものの気質に起因する問題ですが、すでに多くの国々でその限界が露呈しています。
私たち一人ひとりが、このグローバリズムの負の側面を認識し、過度な競争や格差拡大を是正する意識を持つ必要があります。
どんどん働いてくれるから、楽になる上層部が無能になる(一番やばいやつ)
労働執着が最も深刻な問題を生むのは、それが結果的に自分たちの首を絞め、他者を儲けさせ、自らを奴隷のような状態に追い込んでしまう点です。
これはどういうことか? 労働者が必死で働いてお金を稼げば稼ぐほど、経営者などの上層部はどんどん豊かになっていきます。
しかし、残念ながら、彼らがその利益を積極的に従業員に還元することは稀です。むしろ、多くの場合は「自分のものだ」とばかりに、自分たちだけが儲けようとします。
さらに恐ろしいのは、変化の激しい現代社会において、変化に対応しようとしない上層部が、この労働執着の構造によって「無能化」していくことです。
今の財務省の姿勢は、その典型的な例でしょう。



「お前が稼いだお金は俺の金、国債発行したお金も俺の金」
とばかりに、国民が築いた富を、自動的にお金の常識を無知なままにさせ、こっそり吸い上げていく。
これが日本社会の悪い例として挙げられます。
最終的に、既得権益を持つ人々は、私たち労働者が「奴隷」のように働き続けてくれるのが理想だと考えている節があるのではないでしょうか。
そうした考えを持つ人が、決して少なくないはずです。
その結果、権利者側である上層部が楽をし、何も考えなくなるため、彼らが無能になってしまうのです。
これは、企業や国家が長期的に成長していく上で、最も危険な状況と言えるでしょう。
労働執着を手放すためにはどうすればいいか?
正直に言うと、労働執着にメリットは一つもありません。
強いて挙げれば、一部の資本家や上層部が、何も変化せずに楽をして儲けることができるという点くらいでしょう。
しかし、労働者側からすれば、これはただただ搾取され、精神的にも肉体的にも疲弊するだけの負のサイクルです。この悪しき執着から抜け出すためには、根本的な意識改革と行動が必要となります。
まずは労働があることを悪(罰)という意識を持とう
まず、私たちは「労働は美徳である」という根深い考え方を捨て去らなければなりません。
かつてこの概念は世界中で使われていましたが、今や多くの国では「労働は罰則である」という感覚が一般的です。考えてみてください、日本の「労働」と刑務所における「懲役」には、どこか共通する匂いがあると思いませんか?
「懲役40年」という言葉も、この感覚からすれば妙に納得できるものがあります。
これは家事についても同様です。「家事は人がやるもの」という固定観念は、現代において通用しません。



そんな人は将来ろくでなしになるだけの運命だから
食洗機や洗濯乾燥機、ロボット掃除機といった家電、さらには将来的な家事ロボットの導入を積極的に進め、家事労働を徹底的に減らすことを考えましょう。
逆に、家事を増やすようなモノは、思い切って手放すべきです。
そもそも「家事は人にやってもらうもの」という考え方は、もう捨て去るべきです。
このような考え方を持つ人は、一生結婚が無理です諦めて退会してください。



うわー、めっちゃストレートに言うね・・・「そんなに異性に恨みあるのか・・・」
提案として、「どうしたら家事労働を減らせるか」という仕組みを意識することこそが、最も原点であり、忘れてはならない視点です。
家事労働は、もう「人がやる」「やってもらう」という前提では成り立たないと心得ましょう。
したがって、仕事も家事も、パターン化できるものであれば、躊躇なく仕組みを自動化し、自分を楽にさせることを最優先にしてください。
普通というそのもの概念は捨てよう
私たちは、「普通」という言葉にどれだけ縛られているでしょうか?
「年収400万円が普通」「マイホームを持つのが普通」「車を持つのが普通」「夫が稼ぐのが普通」――。
これらは、まるで20世紀、特に1990年代や高度経済成長期の考え方で時間が止まっているかのようです。
身長は個人の意思でどうにもなりませんが、それ以外の「普通」は、もはや私たちを縛る鎖でしかありません。
「普通に生活すれば良い」「普通の男(女)を選べばいい」といった言葉は、はっきり言って思考停止の極みです。
現代において、「普通」はもはや現実的ではありません。
考えてみてください。
普通の田舎であっても、新築マイホームは田舎でも2000万円を超え、車も最近では400万円が当たり前というほど高騰しています。
大学もまた、学歴ビジネスと化し、明確に搾取を前提としています。
300万円を超える学費を、借金をしてまで賄う奨学金制度は、まさにその象徴です。



たしか友達とかが、奨学金どうしようかと迷っていたみたいだけど、私なら「やめとけ」をアドバイスしたほうが良いかな??
どう考えても、「普通」を追い求めるのは、現代においては「無理ゲー」としか言いようがありません。
「世の中の普通はもう死語だ」と思ってください。普通=地獄、と言っても過言ではありません。
しかし、誤解してほしくないのは、これらの「普通」が通用した時代があったということです。
それがあったからこそ、かつての日本は豊かになったのも事実です。しかし、時代は大きく変わりました。過去の「普通」は、もはや今の「普通」ではありません。
今の「普通」という概念こそが、まさに労働執着の塊なのです。
風の時代になったことを知って理解しよう
2020年を境に、これまでの昭和モデルとなる「土の時代」から、新たな「風の時代」へと大きく変化しました。
土の時代では、所有、資産、固定されたものが最も重要視されました。
土地や建物、大量のモノを所有することが豊かさの象徴であり、それが大きな市場を形成し、結果として「お金」への執着、そして「労働執着」を生む原因となりました。
しかし、風の時代は、この土の時代の概念を逆転させます。
この新しい時代で重要視されるのは、シェア、経験、コミュニケーション、そして移動といった、形のない、流動的なものです。
なぜ風の時代が現代に合っているかというと、今の日本はもうモノが多すぎて、管理すること自体が大変になっています。
しかも、モノは多くても使わなければ意味がありませんし、限られた土地にモノが溢れれば、生活は窮屈になるばかりです。



しかも高級品や土地などは固定資産税を取られるから結構負担大きいわよ
風の時代においては、「お金」を第一の価値とする考え方は時代遅れになりつつあります。
むしろ、人柄や人間性、そして共感や繋がりといった「無形資産」が重要な価値を持つようになります。
最近、ミニマリストが増えてきているのも、まさにこの時代の流れを象徴しています。
物質的な豊かさから精神的な豊かさへと価値観がシフトしているのです。
この「風の時代」の概念を理解し、自身の働き方や生き方を見直すことが、労働執着という鎖から解き放たれるための大きな一歩となるでしょう。
労働を減らせる期待ができる政党・個人に投票すること(一番重要)
今回の記事において、今、最も重要なのは「投票」にしっかり行ってもらうことです。
労働執着を手放したいのであれば、これは最初に、そして絶対に対策すべきことです。
結局のところ、私たちの生活が楽になるかどうかは、基本的に政治の選択によってすべてが決まります。
あの、1票の価値はどれぐらいなの?と思うかもしれないけど、実際には200万円ぐらいはかかっているんだとか。



ええ!?そんなにかかるもんなの!?
それをないがしろにすれば、状況はどんどん悪化していくでしょう。
そもそも個人の努力でできる場面は限られており、それが限界に達すれば、もうどうすることもできません。



自分が変われば速いのも確かだけど、節約とかも微々たるものだし、収入も消費税のせいでなかなか増やすのが難しいからそもそも根本的なところを変えないといけない。



節約とかは枝葉みたいなもんですね
今、私たちが選択すべきは、減税はもちろんのこと、労働からの脱却を図ろうとしている政策を掲げる政党を選ぶことです。具体的には、
- 消費税の廃止、インボイス制度の廃止
- 基礎控除の増額
- 反グローバリズム(過度な競争や格差拡大を是正する姿勢)
- ベーシックインカムの導入
- 労働時間の削減
- 行政のIT効率化
といった政策が多く含まれている候補者や政党を積極的に選ぶべきです。
政党で方針を固まっていることが多いですが
最終的には個人単位で、その議員の考えが問題ないかをチェックしておくことが重要です。
最低でも、以下の4つの兆候が見られたら、その議員は「赤信号」だと認識し、落選させることを強く意識しましょう。
- 緊縮財政による増税(消費税増税、控除廃止など)
- グローバリズムの増進
- 年金制度改悪化
- 補助金でごまかす



他に「財源が・・」とか「国民にお返しする気がない」「生活水準を下げる」などの発言するような匂わせも危険信号!
ただし、ここで注意してほしいのは、思考停止で投票するのは絶対にやめてください。
「この政党は有名だから安心」「この政党なら大丈夫」といった考え方は、かえって社会に迷惑をかけることになります。
そのような投票をするくらいなら、いっそのこと投票しない方がまだマシです。
思考停止でテキトーに投票したことは、いずれにしろ他の人にバレます。
「発言をしなければバレないと思うけど、でも普段のその人の性格に出ているのでバレると思ったほうが良い」
しかも最近は、政治に対して非常に強い怒りを持つ人が増えており、中には過激な行動に出る可能性すらあります。



恨みで殺しに出てくるかもしれないから、今後は選挙の1票というのが慎重に選ぶ時代が来るかもね。



うわー今後はわかんないから適当に選ぶと大変なことになりそう・・・



「〇〇に投票しやがって!てめぇ恨む」
「あいつは〇〇に投票しました!だから追い出して敵にしろ」
「あいつは投票しなかっただと!?命がかかってんだふざけんな!」
というようなインターネットだけでは済まないリアルな攻撃もあり得るね



怖いね・・・政治の世界って・・・
なので投票の際は、真剣に、そして熟考して臨んでください。
誰に投票すれば良いのか分からない場合は、経済や政治について分かりやすく解説している専門家の情報や、信頼できるメディアを参考に、自分自身で考える習慣を持つことが大切です。
労働執着気質な会社を手放す(サラリーマンの場合)
もしあなたがサラリーマンであれば、労働執着気質な会社は今すぐに辞めることを検討しましょう。
そういう会社は長い目で見ても改善が見込まれないと思った方が賢明です。
例えば、残業が常態化していたり、「1日8時間労働ができないと社会不適合者だ」といった考え方を持つ会社は、労働執着の可能性が高いです。
相談しても、経営陣や上層部が動かないことがほとんどで、結局、痛い目を見て初めてその問題に気づくものです。
そのような会社に時間を費やすのは、あなたの人生にとって大きな損失です。
より良い労働環境を求めて積極的に転職したり、あるいは副業でスキルを磨き、最終的には独立を目指すことも視野に入れましょう。
もちろん、副業禁止の会社も論外です。
個人のキャリア形成や収入の多様化を阻む会社は、労働執着を助長する環境だと認識し、そこから抜け出す勇気を持つべきです。
ケチな客との取引を辞める(経営者・フリー向け)
経営者やフリーランスの方々にとって、労働執着からの脱却には、「ケチな客」との取引をきっぱりと辞める勇気が不可欠です。
安価な報酬で仕事を依頼してくる顧客は、往々にしてクレームが多く、こちらの時間や労力を不必要に奪いがちです。
彼らはビジネスパートナーではなく、むしろ「貧乏神」だと思って切り捨てましょう。
そもそも、ビジネスは対等な関係性が基本です。
お金を持っている者が上である、という考え方は、ただのカスタマーハラスメントに過ぎません。
このような関係性は、今後ますます不利になっていきます。
ただし、取引を断るにしても、最低限の品質は常に保つことが最も重要です。
品質を下げれば、それはそれでクレームの原因になります。
しかし、逆に品質を上げすぎることにも注意が必要です。
イラストレーターが良い例ですが、いくら能力が高くても、人間の作業には一定の限界があります。過度に期待値を上げすぎると、それは結局自分自身を苦しめることになります。
特に納期は、早めすぎると後で自分の首を絞めることになりかねません。常に余裕を持ったスケジュール設定を心がけましょう。
また、下請法や、最近施行されたフリーランス保護法といった法律を活用して、不当な要求から身を守るという対策も有効です。自らの価値を正しく評価し、不当な取引からは毅然と距離を置くことが、労働執着から解放される第一歩です。
ワークライフバランスの大切さを感じさせる
「最近の若者はワークライフバランスばかり言って、会社に帰属意識がない!」──こんな批判を耳にすることがあります。
しかし、はっきり言って、「会社に帰属しろ」などと言う資格は、対価をきちんと支払ってからでしょう。
そもそも、日本の働き方は「働き過ぎ」なのです。
「最近の子」が教えてくれているのは、人間本来のあるべき姿です。
それを理解できない大人が、まさに「労働執着」という病にかかっているのです。
ワークライフバランスは、健全な精神と身体を保つための正常な証拠です。
もしあなたが残業しているなら、まずそれをやめましょう。
有給休暇をきちんと取っていないなら、今すぐ休みましょう。
それができないのであれば、それはもはや個人の努力だけの問題ではなく、その組織が無能であるという証拠なのです。
仕事(稼ぐ・見栄目的)以外の趣味を見つける
労働執着に陥ってしまう大きな原因の一つに、仕事以外の趣味や居場所がないという問題があります。
もしそうであるなら、いますぐ趣味を見つけるべきです。
もちろん、副業も含め、お金稼ぎに一切関与しないものを探してください。
また、お金への執着につながる「見栄」もNGです。
SNSでの華やかな投稿などは、この見栄を増進させる原因にもなるため、避けておいた方が賢明かもしれません。
仕事以外に夢中になれること、心から楽しめることを見つけることで、あなたの生活は仕事一辺倒ではなくなり、精神的なバランスを取り戻すことができます。
それが、労働執着という鎖から自分を解き放つための、非常に重要なステップとなるでしょう。
生活圏を広げる
労働執着をなくすためには、そもそも場所の環境を移動するのも一つの手段です。たとえば日本に住んでいるのであれば、海外へ移住することも選択肢の一つです。
また、最近ではメタバースも新たな生活圏として広がり始めており、物理的な制約から解放される可能性を秘めています。



今回唯一のメタバースです
メタバースは今でこそ小さく限られたスペースですが、今後AIの普及や半導体の改革などがある場合、オープンワールドになったり実際に生活する時間は長くなっていくでしょう



SNSと同じように今のメタバースは「第1世代メタバース」と私は思っている、次の第2世代メタバースはオープンワールド化を期待している。
住む場所や活動の場を広げることで、これまで当たり前だと思っていた労働の価値観から距離を置き、新しい働き方や生き方を発見できるかもしれません。
労働執着の強い人と縁を切る
労働執着が強い人との関係性は、時にあなたの足を引っ張ることがあります。
しかし、ここで言う「縁を切る」というのは、単に人間関係を断つことだけを意味しません。
むしろ、その人たちが持つ「労働執着の習慣」という呪縛から自分を解放することを意味します。人間関係を断つのは、本当にどうしようもない「仕事人間」に対して、最後の手段として考えてください。
まずは説得を試みることが重要です。労働執着がいかにろくな結果を生まないかを、粘り強く理解してもらうことが大切です。
ほとんどの場合、人々は「仕方なく」働いているので、本当は今の働き方をしたくないと考えているはずです。労働からの脱却にはいくらでも方法があることを示し、何が彼らにとって最もストレスで、何を優先したいのかを共有し、共感を得る努力をしましょう。
お金の執着を手放す(すごく重要)
最終的に、労働執着の根本にあるのは「お金への執着」です。
これを断ち切らない限り、真の自由は手に入りません。
では、あなたにとって「お金の執着」とは具体的にどのようなものでしょうか?
- 貯金が大好きな節約家(1000万円でも満足しない)
- とにかくFIREを目的に貯金している
- 将来不安だから貯金している
- 高収入のために転職活動
- 普通を求める(マイホームや車、結婚など・・・)
- SNSで見えを映えてお金を稼ぐ
- 夜の店やソシャゲー等で推しにお金を貢ぐ、そのために稼ぎまくる
- いい会社に入って大学という肩書のためにわざわざ借金する



これはね・・・言っては怒られるけど全部そうだね!



ええええ!?



まあ安心せい!私もあいつもそうだから
※実際ブログで稼いでいるし
もちろん、見栄を張ったり、推しに貢いだりするためにお金に執着するのもそうですが、「節約家」もまた、実はお金に深く執着しているケースが多いのです。
節約家の多くは貯金が大好きで、ある程度貯まった後も、お金を使うことに抵抗を感じ、結果的に貯金が増えすぎてしまうことがあります。
また、多くの節約家は本業で働き続けており、FIREできるほどの資産を築いてもなお労働を続けているケースが少なくありません。
これは、億万長者の経営者にも共通する点です。彼らの場合は、仕事が「趣味」や「生きがい」になっていることが多く、それ自体は素晴らしいことです。
しかし、これらの「趣味」が、実は労働執着の根源となっている可能性も認識しておくべきです。
もちろん、個人の趣味であれば問題ありませんが、それが「労働を前提とした求人」へと繋がり、他者を巻き込むようなことはしてはなりません。
本当に人手が必要な場合でも、長期的に見てその方法は持続しません。
今の日本は、すでに多くの人が仕事にうんざりしており、「脱労働」という考え方に目を向け始めているからです。
長くなりましたが、結局のところ、お金に執着すると労働執着に陥るのです。
ある人は「お金は煽れば煽るほど儲かる」と発言していました。実際にギャンブル、夜の店(特にホストクラブ)、そして税金や社会保険による「搾取」が良い例です。
ギャンブルや夜の店は特にキリがなく、税金や社会保険は強制的なシステムであるため、これらが人々にお金への執着を生み出しやすい構造になっています。
実はお金を儲けるためのビジネスはもう終焉
ある人は「お金儲けはもう時代遅れ」と発言していました。
彼がこの発言をしたのは5年も前ですが、当時はまだブログやYouTube、アウトソーシングなどで儲けられる時代だったため、信じられないと感じた人も多かったでしょう。
もちろん、今も稼いでいる人がいれば、それは勝ち組です。
しかし、新規参入者や、まだ成功していない人にとって、今からそうした分野でプロに勝つのは至難の業です。
何せ、今は情報が溢れているため、その手順は二流以下、いや三流レベルでは簡単にお金を儲けることはできません。
また、前述の通り、多くの「問題解決型ビジネス」はすでに飽和状態にあり、残されているのは「労働解放」というテーマくらいなのです。
第1段階は不要出費を減らす
そのため、収入を増やすことよりも、無駄な支出を減らす取り組みをした方が、結果的に手元に残るお金を増やす点で効率的です。



これね、うちのアニンたちが言っていたけど、「東京23区に住む」のが一番最悪浪費とか言っていた。



見栄よりもですか・・・?



まあ見栄もかなりのレベルで最悪だけど、あれってまだ必要じゃないからなくてもすぐにできるけど、家の場合は生活だからそうもいかないからな



たしかに・・・高いし、逃げられないですもんね・・・
お金儲け思考は捨てよう
さらに言えば、収入を増やすにしても、「お金儲け」という考え方を捨てた方が、実はうまくいくことが多いのです。
私自身の例で言えば、今もブログは続けていますが、活動のメインストリームはすでに創作活動へと移行しています。
キャラクター作成、メタバース構築、3DCG、Live2D、オリジナルの小説制作などです。
勘の良い人ならわかると思いますが、これらは全く儲かりません。
というか、私は儲けることをやめました。
一応3DCGの販売もしていますが、あくまで自分用に設計したものの「おまけ」のようなものです。
それでも、お金を儲けることを前提にブログを書いていた時代よりも、遥かに「やりがい」を感じています。
お金を儲けることを前提に考えてしまうと、どうしても視野が狭くなりがちです。顧客のニーズに応えるために配慮が必要になり、結果として自由な発想が生まれにくくなります。
しかし、お金を度外視して創作活動を行うと、やりたい放題できますし、ミスも全く気にしなくて済むので、非常に快適なのです。
最終的には日本円に変わる、新しい価値となるものに変換する気持ちが大切
最後に、日本円、ひいては現在の法定通貨は、今後「紙くず」になる可能性も考えておくべきです。
なぜなら、先述したように「お金儲け」が時代遅れになりつつあること、そしてこれから訪れる「風の時代」は、お金を持つことそのものの価値が薄れていくからです。
また、日本円は国が発行をコントロールしている通貨であり、税金や社会保険といったものが嫌でも絡んできます。
そのため、近年、仮想通貨が現在の法定通貨に代わる新たな通貨になると言われています。
私はこれを「お金の民営化」と呼んでいますが、よくよく考えれば、今のお金は国が独占している状態なのです。
会計基準も、税金も、すべて国が決めています。
しかし、仮想通貨が普及すれば、国による独占的な通貨からの解放が進むでしょう。
実は、すでに他の国では仮想通貨がかなり普及していますが、日本ではまだ4%前後しか利用者がいません。
これは、税金が高すぎるために普及が進まないことや、変動が激しいために儲かると高額な税金を払うリスクを恐れて手を出さない人が多いことが原因です。
仕組みとしては、売却時の利益に対する税金ですが、累進課税のため非常に分かりづらいのもネックです。
しかし、今デモなどで改革が進んでいるため、今後普及すると考えられます。
ですから、お金への執着は、これからの時代に儲けるためのものではなく、今すでに持っているお金を、日本円以外の新しい価値となるものに変換し、資産を守るといった対策も視野に入れておくべきでしょう。
よくありがちな質問
- 家事を減らすためには何から始めたほうが良いですか?
-
まずは購入コストが低い家電を購入したり、不要な家電を減らすほうが一番です。
家電であれば食洗機や乾燥機「もしくはドラム式洗濯機」、ロボット掃除機などです。
一方で不要な家電は「テレビ」「マイナー的であんまり使わない複雑な家電」です。 - 1人ぐらしなら300万円で十分な理由は?
-
基本的に自分の経験や節約家の動画などで研究したところ、300万円ぐらいあれば十分貯金できると判断したからです。
まず地方都市と東京ではまるで別世界のように家賃が大きく違っています。
東京だとワンルームでもさえ8万円が当たり前が、それが地方都市になると2LDKや3LDKが借りられるどころか、1軒家を借りてしまうことができるぐらい差があるのです。しかもそれはファミリー用なので1人ぐらしだと3~4万ぐらいあれば割と快適に生活ができるレベル。で同じかちょっと上ぐらいです。 - 会社の近くに住めというアドバイスがあるんですが、もし東京23区でしかも在宅一切なしだとどうすればいいですか?
-
これは基本的に転職しましょう。
給料が高いのであればそれで行けるかもだけど、殆どの場合はそうじゃない。
しかもこういう会社はあんまり社員を大事にしない使い捨てを前提にした自己利益ぐらいしか考えてない会社なので舵を切ったほうがいいです。(リストラ前提の求人募集会社はその傾向があり)
給料を上げるのもいいが、在宅がある会社か地方都市でも同じぐらいの価格で提供できる会社を選んだほうが賢い選択肢です。
まとめ
「労働集約型だから仕方ない」という言い訳の裏に隠された、真の問題は「労働執着」という根深い価値観です。
私たちは、もはや物質的な豊かさを極めた社会に生きており、従来の「お金を稼ぐこと」を目的とした労働は、多くの点でその意義を失いつつあります。
長時間労働や不健康な生活、そして経営層の無能化といった負の連鎖は、この執着がもたらす悲劇に他なりません。
この悪しき習慣から脱却するには、まず「労働は罰」という意識を持ち、ITやAIを活用してあらゆる無駄を省くことから始めましょう。
旧時代の「普通」という幻想を捨て、所有よりもシェアや経験を重んじる「風の時代」の到来を理解することが重要です。
そして何より、あなたの一票の行使が、労働執着からの解放を加速させる最も重要な手段です。
未来を見据えた政策を掲げる政治家を選び、労働執着にまみれた企業からは距離を置き、お金稼ぎのためではない真の「趣味」を見つけることで、心の豊かさを取り戻しましょう。
お金への執着を手放し、日本円以外の新たな価値へ目を向ける。これからの時代は、量ではなく質、そして人間らしい生き方が問われます。
私たちは今、労働執着という鎖から解き放たれ、より自由で豊かな人生を創造するための岐路に立っています。この変化の波に乗り、新しい時代の幕開けを迎えましょう。