今日は大人気ゲーム『マインクラフト(マイクラ)』から、僕らが生きるこの社会、特に「金融」や「本当の豊かさ」について学べる、ちょっと変わった視点の話をしていこうと思います。
マイクラって、僕からすると、便利になりすぎた現代社会のアンチテーゼ、つまり「対抗馬」**なんじゃないかと思うんですよね。
ある意味プレイして現実で例えるとめちゃくちゃ不便。
だけど、その不便さの中にこそ、今の僕らが忘れちゃいけない大切なエッセンスが詰まっている気がするんです。
エメラルドは江戸時代以前の分散通貨に近い💰
マイクラで最も特徴的な交換手段といえば、エメラルドですよね。
現実のお金(日本円)は、基本的に何とでも交換できます。
パンを買うことも、家賃を払うことも、株を買うこともできる「万能の交換手段」です。
ところが、エメラルドは違います。
エメラルドで取引に応じてくれるのは村人や行商人だけ。
しかも、村人によって交換できるアイテムは決まっています。
司書なら本、農民なら食料というように、「特定のコミュニティ」や「特定のサービス」でしか流通しない、「限定的な交換手段」**なんです。

これは店舗でもそうよね~
今のAmazonとかは便利すぎて気づかなかった…
僕はこれを見て、日本が長らく続いた分散国家の時代、特に江戸時代以前の経済を思い出すんですよ。
ちょっと難しい話になっちゃうけど、「分散国家」ってのは、中央に権力が集中せず、各地の藩とか、村とか、それぞれのコミュニティが自律してて、独自の経済圏とかルールを持ってた国ってことね。
明治維新以降の「中央集権」な今の日本は、歴史全体で見るとむしろイレギュラーな状態なんだよね。


マイクラの世界も同じ。
プレイヤーが自分で道具を作り、家を建て、食料を確保し、そして村人という特定のコミュニティとのみエメラルドというローカルな通貨で取引を行う。
これって、まさに特定のコミュニティ内で価値を共有し、外部の影響を受けにくいWeb3的な「自律分散型経済」の原型に見えません?
エメラルドは建材にもなるし、MODを入れれば武器にもなる。
特定のコミュニティ内では「実用的な価値」と「交換価値」を併せ持つ、まさにエメラルドは「仮想通貨」に近い存在と言えるんじゃないでしょうか。(もちろん、中央銀行の保証なんてないわけですが!)
マイクラでも金の価値は高いが、用途が分散している ✨
マイクラの世界で、もう一つ価値が高いとされているのが金(ゴールド)**です。
現実と同じく、マイクラ内でも金は美しい素材であり、価値が高い。



金ブロックとかで建築でよく使われるよね=
しかし、面白いのは、村人との交換(エメラルド経済圏)には使えない点です。
代わりに、ネザーのピグリンという特定の種族との「貿易(物々交換)」に使われます。
これは、金が万能な「お金」としてではなく、特定のコミュニティ(ピグリン経済圏)にとっての「最優先の交換アイテム」として機能していることを示しています。
しかも、ネザーでの金消費は非常に激しい。
ピグリンとの貿易はギャンブル性も高いので、効率よくアイテムを手に入れようとすると、鉄の次に不足しやすい素材になります。
現実の日本は、お金がとにかく一極集中しすぎている。
証券口座で「円」を介せば、銀だろうが金だろうが、簡単に交換できてしまう。
しかしマイクラは、鉄を金に変えるといった「素材の変換」手段が限られています。



そもそも変換できる手段ってバニラには存在するのだろうか?
だからこそ、マイクラでは全ての素材に固有の重要な価値が生まれているんです。
最序盤の土ブロックだって、海の埋め立てや畑を耕すための整地には必須ですし、一番数の多い石ブロックだって、実は村人との交換に使えたりする。



エメラルドの変換でお世話になっております!
特定の「お金」に集中するのではなく、それぞれの素材が持つ「実用的な価値」が、そのまま「交換価値」に繋がっている。
この「価値の多様性」が、僕らが目指すべき社会の姿を示している気がします。
今の世の中は「便利」に溢れすぎているから、マイクラの「不便さ」が必要
僕らが今住んでいる日本は、もう本当に「便利」に行き過ぎています。
SNSで友達と簡単に繋がれる。
フードデリバリーで一歩も外に出ずに食事ができる。
でも、この「あまりにも便利すぎる状態」って、僕は「味が薄く」なって、結果的に「不幸を招く」んじゃないかと思っています。
何かを達成した時の喜びって、「乗り越えた不便さ」の量に比例すると思うんですよ。
マイクラは基本的に全然手軽な要素がありません。
- 家を建てるのに小さいものでも30分、大きいものだと数日。
- ダイヤモンドを集めるには、地下深くまで掘り進めるという「不便さ」を乗り越える必要がある。
でも、最初の平原にポツンと立っていた状態から、時間をかけて立派な家が完成した時の達成感は、何物にも代えがたい「濃い味」の喜びですよね。
今の世の中、労働は執着文化になってて、みんな疲弊してる。
これを脱却するために、僕らはもっと「創造性」や「ゼロから生み出す力」を増やすべきです。
創造性とかゼロから生み出す力がないってのは、僕たちがコピーが得意なだけで、本当に新しい何かを生み出すのが苦手って意味じゃなくて、「不便」を「楽しみ」に変えて、何かを「自分で作り出す」機会が社会から奪われすぎてるってことなんだよね。


マイクラは、この「不便を楽しむ」という体験を通じて、僕らに「本当の豊かさ」とは、「自分で価値を生み出す力」なんだと教えてくれます。