「生産性を上げろ」「効率化しろ」って、最近どこでも聞くフレーズですよね。
でも、今の日本にとって「生産性向上」は本当に必要なんだろうか?
のぞみそれ、私も疑問に思っていました!
なんでそこまでして仕事は生産性向上をしなくちゃいけないのか…本当にうんざりです



結局のところさ…自己利益じゃない?
そういうところからむしろ、害悪になっているんじゃないか、というのが僕の正直な感想です。
この国はモノがあふれ、情報があふれ、**「足し算」ばかりを強いられすぎて疲弊しています。



鉄道担当していていつも思うけど人を増やして何になるのか意味がわからない。
僕たちに必要なのは、「引き算」、つまり徹底的な「無駄の排除」です。
生産性向上が今の時代は必要ない
昔、人口が増えていた時代なら、生産性向上は絶対的な意味がありました。



まあ昔は物が少ないとは行っていたことは聞いたことはあるけど…
労働力は限られているけど、食わせる人、着せる人が増えるんだから、一人当たりのアウトプットを増やさないと社会が回らなかった。
経済成長こそが正義の時代です。



でも、今はどうですか?



なんだかものを増えて片付かないな…
人が減り続けている。
しかも、多くの製品やサービスはすでに供給過多です。
コンビニに行けば、いつでもどこでも同じものが手に入る。



たしかにコンビニは便利だ!
服はワンシーズンで使い捨て。情報も一瞬で流れていく。
そんな中で「もっと生産性を上げろ!」って言われるのは、誰の利益になりますか?
それは、一部の株主や既得権益を持つ人たちの利益を増やすための「奴隷化」の促進でしかないんじゃないか。
労働時間を増やし、給料は据え置きで、さらに効率を求める。
これは僕たち個人の幸福とは真逆の方向を向いています。



なら?無駄な行動を徹底的に減らせば、実質的な生産性は自動的に上がるはずじゃ?
週40時間働いて、半分が無駄な会議や資料作りなら、週20時間働いてその無駄をゼロにした方が、結果として生み出す価値は大きい。
僕たちは「生産」を増やしすぎることに執着しすぎて、本当に大切な「時間」と「精神」を消耗しています。
なぜ生産性向上が「労働執着」の元凶になるのか
生産性向上は、「どれだけ短い時間で、どれだけ多くのアウトプットを出したか」で人を評価する成果主義とセットです。



つまりは費用を以下に抑えて、利益を少しでも増やせるかというものだ。



いわゆる「コスパ厨」というものか
この思考は、僕たちを「常に動いていなければならない」「常に価値を生み出さなければならない」という呪縛に縛り付けます。
これが、日本特有の「労働執着文化」を強化している構造です。
休憩時間もスマホを見て、家に帰っても仕事の連絡を気にする。
「何もしない時間」、つまり「無駄な時間」を怖がるようになってしまう。
しかし、歴史を振り返れば、日本は長い間、農耕民族として「ゆったりとしたリズム」の中で暮らしていました。
明治維新以降の中央集権化と西洋の産業主義の導入こそがイレギュラーで、僕たちから「のんびりする自由」を奪いました。
働執着からの脱却こそが、僕たちの創造性を回復させる第一歩です。
無駄を減らさないといけない理由
僕たちは今、必須クラスと言えるぐらい、不要なムダを減らさないとヤバい段階に来ています。
特に、「労働に関わるムダ」や「支配構造を維持するためのムダ」は一刻も早く排除すべきです。
(趣味とか好きなことのムダはむしろ人生の彩りだから別物ね。あっちのムダは「味の濃い人生」**に必要な栄養です。)
🌡️ 地球温暖化が過熱し、夏が地獄に
これは、無限の成長と効率化を唱える生産性向上論者が都合よく無視している事実です。



生産性を上げて賃上げ賃上げとか意味わかんなくない?
「モノを大量に作り、大量に運び、大量に消費させる」という生産性向上ゲームは、膨大なエネルギー消費と環境負荷を生み出します。
毎年夏が地獄みたいに暑くなっているのは、この「無限の成長」という名のムダを追求しすぎた結果です。
僕たちは、「作ること」や「売ること」よりも、「持続させること」と「意味ない浪費しないこと」に価値を置くべきです。


モノがあふれる日本だからこそ、消費を増やすより「節約しやすい」**環境に意識をシフトさせるべきなんです。
無駄は基本的に出産元にある(お金の独占はNG)
僕たちの生活を支配しているのは、「お金を生み出す特権」を持った人たち、つまり日本銀行や日本政府、そしてそれに連なる既得権益層です。



仕組みは必ず原点というものがちゃんとある
彼らは、自分たちの「中央集権的な支配」を維持するために、僕たち一般人に「金を稼ぐために無駄な作業の奴隷になれ」と強いている構図が見えませんか?



なぜ、あんなに意味のない「稟議(りんぎ)」が必要なのか? (本当に意味不明すぎー)



いつも思うけど…なぜ、誰も読まない「報告書」を延々と書かされるのか?
これらはすべて、お金を独占する側が、自分の立場を維持し、責任の所在を曖昧にし、僕たちをコントロールするために生み出している無駄なんです。
労働は本来、豊かな生活を送るための手段なのに、いつの間にか「常識」として刷り込まれ、僕たちの「時間」と「創造性」を奪い続けています。
この構造を変えるには、お金の発行権、つまり権力を分散させるWEB3の仕組みが必要不可欠です。
供給と需要がどんどんバランスを崩れる
今は、圧倒的に供給の方が多い時代です。
例えば、僕たちの家の中。
買ったけど使っていないモノ、読んでいない本、登録したけど見ていないサブスク…。
これらすべてが、過剰な供給の証拠です。
誰も必要としていないものを、「効率よく」大量に作ることに、一体なんの意味があるんでしょうか。



誰も人が乗らない路線とかは毎日よく運用するよなぁ…
すでに市場に溢れているのに、さらに「生産性を上げて」モノを作っても、それは在庫かゴミになるだけ。
こんなところで生産性を上げるより、本当に必要なものだけを見極める、つまり「無駄な消費」を減らすことこそが、僕たちの生活を豊かにします。
僕たちは、「作って売る」国から、「生み出し、共有し、持続させる」国へと変わるべきなんです。
AIという技術は無駄をなくすチャンス
ここでようやくAIの話です。AIは「効率化」の道具として語られがちですが



逆に考えるんだ
僕にとっては「無駄な仕事を特定し、人類から永久に奪い去るための最強のツール」です。
- データ入力
- 定型的な報告書の作成
- マニュアル通りのカスタマーサポート
- 無駄なプログラム機能
これらはAIが代行すべきムダな労働です。
僕たちがやるべきなのは、AIに任せられる作業を早く手放し、AIができない創造的なこと、ゼロから何かを生み出すこと(日本が今一番苦手としている部分ですね)に時間を使うことです。
AIを「もっと稼ぐための道具」ではなく、「もう働かなくて済むための道具」として使う視点を持つこと。
これが、労働執着文化を脱却する、最も現実的かつ効果的な第一歩です。僕たちの「脳のリソース」を、無駄な作業から創造的な発想へと振り向けるチャンスなんです。



本質を忘れてはなりませんね
まとめ
生産性向上は、限られた資源を奪い合い、地球を破壊し、一部の権力者を潤すためのゲームになり下がってしまいました。
僕たちに必要なのは、生産性を上げる「足し算」ではなく、「無駄をなくす」という引き算の思考です。



リピートアフターミー!



無駄な労働、無駄な消費、無駄な支配から自分を解放すること。
これこそが、僕たちの時間を取り戻し、本当に創造的な活動に集中できる、新しい豊かさへの道です。
そして、その道はWEB3という分散化の技術によって開かれます。


