国会議事堂で法律を改正し、国の予算を編成する——。
この「中央集権」による政治のやり方が、今の日本という時代において、もはや機能しなくなりつつあると感じています。
明治維新以降、日本は急速に中央集権国家として発展しましたが、インターネットが普及し、社会が多様化した現代において、巨大すぎる政治システムを維持することは、物理的にも構造的にも無理が生じています。

もうどれぐらい限度なの?



もうね今にも地方や特定のジャンルとかに全面的に分散をしないと本当に維持できなくなって全体的な治安が急激に悪くなってくるよ



そんなに深刻!?
なぜ今の政治の仕組みが限界を迎えているのか、そしてこれから日本がどう変わっていくべきなのかを考えてみましょう。
いまなぜ政治の維持が無理なのかの理由
今の日本の政治体制が、時代に合わなくなっているのには明確な理由があります。
1. 国会議員の人数が多すぎて物事を決めるスピードが遅い
まず昔から言われているけど、とにかく今の日本は法律の改正スピードが遅すぎる。
その原因は人数が多く話し合いが長いし、手続きも複雑だから
国会議員は、衆議院と参議院を合わせると約700人近くいます。



この時点で私の予測だと推定300億円近くも予算使用していると思うぜ。



これは多すぎるよ…
予算は今回議論するものじゃなく、これだけ多くの人数で、一つの法案や予算について議論し、採決するというのは、単純にスピードが遅すぎます。
土の時代の安定と大きな組織という弊害が来ている証拠です。
現代社会は、AIやWeb3.0といった技術革新が猛烈なスピードで進んでおり、政治の決定スピードが社会の変化に追いついていません。



しかも国会議員が多い割に、その改正するための手続きするための行政の人数が足りてないし、キャパオーバー。
だから改正のシステムの導入は必須。
重要な法改正や緊急の経済対策が必要な局面で、手続きや根回しに時間がかかりすぎる「非効率なシステム」は、大きな足かせとなっています。
もちろん意思決定の遅さは、国力の低下に直結し、何も良いことはない。
現代においては、「少数精鋭」で迅速に決断を下す仕組みへの転換が急務ではないでしょうか。



だから地方は地方で、その分野はその分野でもう決めたほうが良いぐらい。何でもかんでも国会だけですべて決まるのは脳の仕組み的に無茶だ。
2. 大きくなりすぎて中央集権では「見れる範囲」の限度がある
これは大企業と同じ構造的な問題です。
会社が大きくなりすぎると、本社や経営陣が、一つ一つの店舗や子会社、現場の状況を詳細に見ることができなくなります。
日本の政治も同様で、東京の中央官庁が日本全国すべての地域、すべての国民のニーズを正確に把握し、最適な政策を打つことには限界があります。
地方が抱える問題は、地域によって全く異なり、北海道の雪害対策と沖縄の観光振興策を、東京が一律に決めることには無理があります。
僕が考えるに、地方別、さらには産業やジャンル別に権限を分散し、現地で意思決定できる「分散権力化」を進める方が、はるかに効率的で国民の幸福度につながります。
3. インターネットやSNSの発展で「改正を求める声」が大きくなってきた
インターネットやSNSの発展は、国民一人ひとりの声を「可視化」しました。
昔のようにマスメディアだけが情報をコントロールできた時代とは異なり、国民の不満や疑問、そして「こう変えてほしい」という要望が、直接、政治に届きやすくなりました。
特に重要なのは、請願法です。
請願法により質問された回答をしなければいけない義務がある
日本国憲法第16条には、「何人(なんぴと)も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、いかなる場合も、その請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」とあります。



憲法16条に限らずだけど、憲法は少なくても全部知っておいたほうが良いぜ!
そして、この請願法に基づき、国や地方自治体は国民からの請願に対して回答する義務があります。
つまり、国民からの要望や質問を無視することは、憲法、法律違反にあたります。



ただねー、これもご都合主義なんだよなー
この法律には罰則がありません。



うわぁ~それじゃあ無視しても無敵ってこと!?
そのため、多くの請願が実質的に無視されたり、形式的な回答で済まされたりしています。
請願法すら遵守されない状況は、国民の声を無視し続けている政治の傲慢さの現れであり、「憲法違反」が常態化しているとも言えるでしょう。



そもそも16条に限らず今の議員は憲法どころか普通の法律でもさえいっぱいしている



やっぱり権力はろくなことがないですね…
4. その改正をしても年代や地方によって相性が合わなくなってきた
日本の社会は、少子高齢化、地方の過疎化、都市への集中など、非常に多様化しています。



改正しても効果がまばらで本当に改正したのかという思うぐらい弱めの内容なんだよな
一つの法律を改正したところで、高齢者に優しい政策は若者の負担増になり、都会にメリットがある政策は地方をさらに疲弊させる、といったように、全ての層に「相性がいい」政策はもはや存在しません。
しかも全員のために公平にするのも強く押し出せないため、そのところに合わせられず結局中途半端な内容で止まってしまうのが事実。



だから攻撃したもの勝ちになり泣け寝入りしているという状況。
そもそも中央集権は一律のルールを押し付けること自体が、国民の分断を招きやすい構造。
そもそも今の構造自体が既得権益の最高状態
なぜ、これだけ非効率で無理がある政治構造が維持されているのでしょうか?
それは、この「中央集権構造」が、今の上の人たち(既得権益層)にとって最も都合の良い仕組みだからに他なりません。
権力が一箇所に集中していれば、管理が容易になり、すべての国民を好き勝手に牛耳ることも可能になります。
彼らが最も嫌がるのは、権力が分散され、自分たちがすべてをコントロールできなくなることです。



財務省が解体が嫌がるのも税金の収入と支出が分裂され権利が縮小されて美味しいものを得られなくなる。
ついでに天下りとかも厳罰化されるのもだろう



だから財務省設置法などが存在するんですよね…



だからこれ絶対にトップダウン型の中央集権はしてはならない。
じっさいに歴史を振り返れば、こんな極端な中央集権構造は、長い目で見ると必ず「期限切れ」になりやすいことがわかります。



以前の奈良時代とかも続かなかったしな
国民の不満が高まり、新しい価値観や技術が台頭すると、その巨大な権力構造は、内部から崩壊を始めるのです。
今の日本は、まさにその境界点に立たされていると言えるでしょう。
今後どうなるのか?
今後の日本の政治構造がどうなるかは断言できませんが、少なくとも、明治維新以降の中央集権の時代は終焉を迎えるでしょう。


今後起こりうる変化の方向性は、間違いなく「分散化」か「分裂化」です。
地方分権の強化により国から県へ、さらに市町村へと権限が移行し、地域ごとのニーズに合った政策が取れるようになる。
「個人」への権限移行やWeb3.0の普及により、国家ではなく、個人が情報を管理し、契約を行うといった分散型の仕組みが浸透していく。
ひょっとすると個人の土地や資産の管理が完全な国営のような形になるかもしれません。
巨大で非効率な中央集権の構造を維持しようとすればするほど、日本という国は、世界から遅れを取り、機能不全に陥ります。
政治の維持が無理だと気づいた今、僕らがすべきは、「国民の手に権力を取り戻す」ための「分散化」を促進していくことではないでしょうか。
それは、投票だけでなく、Web3.0の技術や長い政治・経済歴史を学び、活用していくことにも繋がります。