今の日本は、経済的な豊かさとは裏腹に、どこか閉塞感に満ちています。
その原因は、私たちの社会が抱える根深い問題にあるのではないでしょうか。
今回は、今の日本に絶対的に足りていないと感じる、いくつかの要素について個人的な考えを述べたいと思います。
利用者が稼げるコンテンツと仕組み
今の日本で最も足りていないのは、利用者がコンテンツを通じて直接的に稼げる仕組みです。
現在のビジネスモデルは、企業が問題解決を前提として収益を上げるという構造が基本です。

これは明治維新その前からの伝統的なもので長らく日本はお金を稼ぐ=問題解決というものが当たり前と思っていた
しかし、解決すべき問題が少なくなっていくにつれて、ビジネスは「労働生産」という名目で、無駄なサービスや製品を生み出すようになりました。
これは地球温暖化を加速させるだけでなく、人々を労働に縛りつけ、孤独や格差を生み出す元凶となっています。
その結果、最近では簡単に儲けられるという触れ込みで、詐欺や犯罪ビジネスが増加しているのも事実です。
健全なビジネスが減り、労働そのものが目的になってしまうと、人々は生きるために非倫理的な手段に走らざるを得なくなります。



これ残酷なこと言うと、天下りをする人が一番安定して一番儲かるということだ。
この問題の解決策の一つが、WEB3コンテンツの普及です。
利用者がコンテンツに貢献することで報酬を得られる仕組みは、労働という枠組みにとらわれない新しい経済圏を創造します。
しかし、残念ながら、中央政府や中央銀行は増税や搾取を繰り返す傾向にあり、個人が主体となってWEB3を広めていくしかないのが現状です。



これね、今作ろうかなと思っている。
日本に最適なWEB3コンテンツの不在
WEB3の技術は増えてきているものの、今の日本にはまだ日本の文化や社会に適したWEB3コンテンツがほとんどありません。
その理由は、WEB3が企業にとって既存のビジネスモデルを壊す可能性を秘めているため、あまり積極的に受け入れられていないからです。



それを既得権益という
個人的には、日本の得意分野であるアニメやゲーム、キャラクター文化とWEB3を組み合わせたコンテンツをはじめ様々なWEB3コンテンツが必要だと感じています。
特に、日本の誇るVtuberに特化したWEB3配信、動画プラットフォームや、企業が支配しない脱プラットフォーム型のメタバースやがあれば、日本のクリエイターの才能がもっと花開くはずです。
そのためにも、個人がもっと簡単にWEB3コンテンツを開発できるような、シンプルなツールやフレームワークが必要だと考えています。



WordPressのようなインストール型を考えているとのこと
日本人の視野の狭さ
私たちは、もっと広い視野をと言いたいところだけど



じゃあ何が狭い視野にしているの?
その原因は、他でもない教育にあります。
明治維新で作られた今の画一的な教育は、軍事的な目的で国民を統一させるために作られたものであり、中央集権体制を強固にする元凶です。
その結果、私たちは異なる価値観を受け入れることが苦手になり、自分の常識を他人に押し付けたり、決めつけたりする傾向が強くなりました。
そもそも、今の中央集権的な社会は、明治維新や奈良時代といった歴史の中でもごく一部の異常な期間に過ぎません。



しかも奈良時代でも長く中央集権は続かなかったので日本はそもそも合わないということだ。
もともと日本は、昔から複数の勢力が並立する分散型の社会が主流でした。
だからこそ、今の体質が私たちに合わないと感じるのではないでしょうか。
時間に対する過度な執着
今の日本人は、時間に対してあまりにもシビアすぎます。



よく若い人がタイパとか言うけど、あれは本当に心が荒むだけやから見直した方が良いで!(まじで脳が狂うので)
これは、先述の「問題解決で稼ぐ」という構造が原因です。
価格のコモディティ化やSNSの普及によって、より短い時間で、より多くの成果を出すことが求められるようになりました。
これは株主にも言えることだけど、株主の短期的な利益追求というものが今のように起こしているじゃないかと私は肝絵が増す。
その結果、私たちは短期的な利益に走り、長期的な視点を持つことが難しくなっています。



それがなにが問題なの?



時間追求においてあまりにも問題と感じているのは…
ずばり深い内容に漬け込む力が失っていること。
SNSやネットショッピングといったなんでも手軽にしすぎたためか、現代人はとにかくなんでもかんでも時間に対することを削減に走りがち。
動画とかも昔は長い時間動画を見ていくというスタンスが主流だったのがいつもまにかTikTokのようなshort動画が主流になってきています。



俺的に長い時間が主役の方がYoutube動画は楽しかったし、今の短い動画になってから明らかに歪みを生じたと感じさせている。
short動画は脳にもかなりダメージが大きくなると科学的にも証明され忙しくさせている助長を生み出しているのではないかとされています。
またその助長の影響なのか暇になるとストレスを感じる人も増えています。
これは、常に何かに追われ、生産性を高めることが善だとされる社会が生み出した歪みです。
お金以外の価値への無関心
今の日本は、お金に対してとにかく執着しすぎています。
お金がすべてを評価する基準となり、私たちの自己肯定感までもがお金で測られるようになりました。
しかし、なぜそこまでお金に執着するのでしょうか?
その根本的な原因は、お金に関する知識が圧倒的に不足していることにあると私は考えます。



僕の経験上、お金がない人は口そろっていうのは「勉強しない」「興味がない」というのが共通している。
しかも若い人がこの傾向に多いね



じゃあ同年代の私は頭おかしいのかな…?
そして、社会の評価制度が、お金ですべてが決まるという風潮を作り出していることも大きな問題です。
本当の豊かさとは、お金だけでは測れません。
お金以外の価値、例えば、人間関係、健康、自己成長、そして何より「心の豊かさ」を追求することが、今私たちには必要です。
安全なコミュニティとメタバースの敷居低下
今の日本には、安全に安心して過ごせるコミュニティが足りていません。
そして、その受け皿となるべきメタバースの敷居がまだ高すぎるのが現状です。
メタバースは、人々の本能的なコミュニケーションを解放する可能性を秘めているにも関わらず、視野の狭さから来る悪しき風潮に阻まれています。
「メタバースはVRでなければ意味がない」と決めつけ、デスクトップでの利用を見下すような風潮もその一つです。
しかし、問題はVRかデスクトップかといった技術的なことではありません。
「マイクラ」のように、誰もが楽しめるような魅力的なコンテンツを提供することこそが重要です。



実際はプレイヤー側だけじゃなく運営側としてもメタバースを気軽に作れるほうがいいんだよなこれが
さらに、メタバースはデータ量が膨大で、プラットフォーム型にするとサービスがすぐに消えてしまうという問題もあります。
これは、中央集権的なプラットフォームが利益を最優先に考え、持続可能性を考慮しない結果です。
この問題を乗り越えるためには、VRや手軽さといった表面的なことだけでなく、根本的に3DCG自体の複雑な構造を改善することが必要だと私は考えています。
今、より多くの人が楽しめるようなコンテンツを作るため、新型の3DCGを開発する方向で模索しています。

